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現実離れしている話だからこそ、憧れという感情を抱くことができる。
それもそうだろう。誰が、ひとりの人間の日常をありのままに映した物語を読みたいと思うのだろう。流れるように移りゆく人生の中で、ただ機械的に同じような日々が続く物語を、誰が憧れにするのだろう。
「……懐かしい……」
両親が見ている前で、ぽつんと呟いた。
俺にも、素直に憧れを抱く時期があったのだと。
今ではもうなにも感じられないようになってしまったけど。
もしこの話の中のお姫様に俺がなれたなら、俺は王子様の期待に応えることはできるのだろうか……
「律」
母さんの呼び掛けに、ふっと顔を上げる。
目が合うと母さんは優しく微笑んで、暖かく顔を和らげる。
それにつられて、俺も少しだけ表情を和らげてみた。
「……楽しい?」
「……」
なにが、と聞くのは野暮だと思った。
きっと話の流れで言えば高校生活が、という意味だと思う。けれど、母さんは高校生活は楽しい? なんて聞いてきてはいない。
つまり────今の、俺の人生が。
生きている中、楽しい? と聞いてきたのだと思う。
母さんが俺にどう答えてほしいのかわからないけれど。
「……そうだね、楽しい」
「……」
「楽しいけど、辛い」
「……」
嘘をつく必要はないと思った。だから俺は、素直に言った。
勿論、楽しいと思う瞬間は思い出せばいくらでもある。
友人と過ごす時間だったり、ひとりで好きなことをする時間だったり、なにか大きな目標を成し遂げたり。
けれど、それらが楽しいと思うのは全て辛い出来事があるからこそだ。でも、あまりにもその辛い出来事は俺を曇らせるには十分すぎた。
……兄さんの、死。
できることなら、もっと兄さんとたくさんの時間を共有したかったし、兄さんが俺にくれたものを今度は俺が兄さんにあげたいと思っていた。
これから生きていく上で、全て。
けれどその必要はなくなってしまった。兄さんは俺にあげるだけあげて、去ってしまった。
これで、人生を楽しめているかって? ……完全に楽しめるはずなんて、ない。
俺が兄さんの死の呪縛から解き放たれるときなんて来るのだろうかと、どこか投げやりな頭で考えた。
すると母さんは少し申し訳なさそうな表情になるも、すぐに切り替えて口を開いた。
「律に今まで辛い思いをさせて、本当に申しわけないなって思ってる」
「……そんなこと……」
「だからね、母さんは律には幸せになってほしいの」
……幸せ、に。
母さんの真っ直ぐな言葉が、俺の心に直接刺さった。
俺からはあまりにも遠すぎる言葉。実現なんて許されない言葉。
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