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第5話

 長いことキッチンルームで待っていた。掃除機の轟音や合成樹脂製のシートが硬く(たわ)む音がした。工事現場からよく聞こえる高い金属音も混ざっていた。祈りながら待っていると、楠葉は作業着を脱いだ軽装で現れ、シルバーリングを麦也に差し出した。鉄錆の匂いが漂った。 「丁場(ていば)がアンタに渡すようにって」  丁場(ていば)はレイモンドの苗字だ。麦也は小石のようなリングを掌で受け取った。鈍い色に十字架が彫られている。親指で撫でた。 「悲しいか」 「いいえ」  楠葉は冷めた眼差しを何度か麦也に向ける。麦也は掌にあるシルバーリングを暫く見つめ、まだ彼の感触が遺る指に嵌めたが大きさが合わなかった。四指の中で最も太い中指でも根元と関節との間を軋みながら滑る。かといって親指には狭かった。 「今度シルバー用のチェーンを持ってくる。首から下げるといい」  楠葉は麦也のシルバーリングの扱いを見ていると口を挟んだ。そして風呂場に消えた。アルコールの匂いも混ざっている鉄錆び臭さも消えた。麦也は先生の部屋に戻った。ベッドは骨組みだけになっていた。窓は開け放たれている。 「先生…?」  部屋の隅、普段麦也のいるベッドと壁の隙間で先生は(うずくま)っていた。 「許してね、許して…」 「先生が許されるよう、僕も祈ります。先生が先生に許されるよう…」  先生はうっうっ、うっうっ、と声を殺して咽び泣いていた。麦也は彼の前に座って祈る。 「許して…おれが許されたいのは、おまえだけだよ……」 「僕に許す・許さないの権利はありません。僕に赦されているのは、先生のために祈ることだけです」  嗚咽を聞きながら麦也は祈った。やがて楠葉がやって来て先生に入浴を促す。鉄錆びと異臭を纏った先生はひどく汚れていた。 「悲しくないか」 「はい」  麦也は誰もいなくなった白い壁を見つめる。冷淡な顔ばかりしている楠葉の声音は優しかった。 「そうか」  彼はまた麦也をひとりにする。先生の入浴は長かった。溺れたり転倒したりしていないかと心配になって麦也はキッチンルームまで出た。楠葉が座って家主が出てくるのを待っている。 「腹でも減ったか」 「いいえ…先生のことが気になってしまって」 「暫く1人になりたいんだろう。放っておいてやれ」  楠葉は風呂場の扉を見ていた。シャワーを浴びているらしかった。麦也も大好きな先生を待つことにした。キッチンテーブルを挟んだ楠葉の対面に座る。温めたシルバーリングを掌で転がす。 「いいヤツだったな、丁場は」 「はい、とても」  麦也の桜色の唇が緩んだ。楠葉は憂いを帯びた表情で床ばかり見下ろしていた。 「あの人を恨まないでくれ」 「恨むだなんてとんでもない。先生のために祈ります、今現在もこれからのことも、今までのことも。それがレイモンドさんとの約束ですから」  楠葉は(こうべ)を垂れ、白い(うなじ)を晒した。麦也は晴れやかに笑いかける。相手はまだ深く悩んでいるようだった。緩やかな曲線を描く伏せった目蓋と反り返る長い睫毛は美しかった。 「アンタが悲しくないのなら、よかった、それで…」 「先生が悲しんでくださいますから」 「アンタには…多分、良くも悪くも感情がない。良くも悪くも……」  呟くように楠葉は言った。彼の身形は軟派な雰囲気もそこはかとなく漂う俗世のよくいる若者といった感じだったが、それに反して呟きや囁きのような、控えめで慎ましやかな喋り方をする。彼の風貌どおりの市井(しせい)の若者たちの多くのコミュティならばそれを気取っているように受け取ったかも知れないが、麦也はそういった細かな点にひどく疎かった。 「感情は神から与えられたものです。僕には、感情が赦されなかったのかも知れません」 「そうだろうか」 「きっとそうです」  麦也は微笑みを浮かべて答えた。楠葉は中途半端に狂信者のほうへ首を曲げた。 「アンタの価値観から言って、俺たち人間に選択はないのか」 「許しを乞えば、おそらく与えられます…おそらく…」  楠葉は黙った。曖昧なことしか言わない自分を見限ったものと麦也は思った。そしてきちんとしたことを答えられないために惑わせていると考えた。 「ごめんなさい。先程のご質問は、僕の知れる範疇を越えていたものですから…」 「いや、謝らないでくれ。俺も妙なことを訊いた」  シャワーの音が消え、楠葉の頭が持ちが上がった。聴覚から得られる情況として、先生は蛇口を捻っているようだった。そして間もなく扉が開かれ、湯気を纏う白い裸体が現れた。 「ずっと待っていたの?」  先生は無言で楠葉を見てから麦也を捉えて訊ねた。 「はい」 「そう。いい子だね」  彼は穏和に笑って自分の部屋へと戻っていった。麦也も後を追う。先生は全裸になって身体を拭いていた。麦也は神を見たことがなかったが、初めてそこに神というものの概念と形を馳せた。思わず祈ってしまった。そして何度も目を閉じたり開けたりして(めし)いていないか確認した。眼球か網膜が焼かれたのかと思った。あるいは、もうそれしか見ることができずその他あらゆるものが霞んでしまうような気がした。 「背中、拭いてくれる…?」  先生は振り返った。普段から濡れたように黒い髪が実際に濡れ、触れたなら指を通り抜けていくように黒かった。麦也はその妖しさに恐々とした好奇心を抱いた。そうでなくとも先生の言うことなら頷いた。湿り気をすでに持っているタオルで先生の平たい背中の水滴を取り除いていく。タオルの繊維がなめらかな皮膚を削りそうで慎重になった。無邪気に何の頓着もなく水滴は透明感のある肌を伝い落ち、それを拭うのが惜しく感じられた。 「口付けをしてもよろしいですか」 「うん、いいよ。して」  見惚れるほど美しい肩甲骨の中心に麦也は柔らかく口唇を押し付けた。 「ありがとう」 「光栄です」  麦也は微笑みをこぼす。先生は振り返り、彼を抱き締める。揃いのボディソープが薫った。布のない先生の胸と腕の弾力や質感、匂いに麦也は目を細めた。心臓の鼓動が同じになる。 「風邪をひいてしまいます」 「ポチ…ポチ、おれを見捨てないでね。ポチ……おれのために祈ってね」 「はい。病めるときも必ず」 「ポチ、おれも祈るからね……でもポチが祈ってくれるからじゃないよ。それでもいい?」  先生は慌てたように捲し立てた。抑揚は不安定で今にも泣き出しそうだった。麦也はこの病んだ人のことを思うと、胸がいっぱいになって先に泣き出してしまいそうになる。 「はい。ご自分のためにぜひ祈ってください」  抱擁する力がいっそう強くなる。先生にもこのような力があるのかと感動するほどに強かった。肌と肌が減り込む。圧迫による痛みと苦しみが快感へと変わっていた。多大な幸福感に涙を流す。 「ポチ……幸せだよ、ポチ。レイくんはもういないのに、幸せだよ。怖いよ、ポチ…」 「レイモンドさんが(もたら)してくださった幸せです。大切に享受しましょう。僕たちに今必要なのは、レイモンドさんがくださったレイモンドさんを想うこの感情です、きっと……きっと…」  先生は麦也の涙を見ても「泣くな」と言わなかった。「泣かないで」とも言わなかった。ただ涙を拭いて、麦也のほうでも彼の涙を拭き取った。  安穏を取り戻した先生はレイモンドの使っていたベッドで横になった。麦也の腕を引いて、隣に寝かせる。手慰みに薄い色素の髪を撫でたり、巻いたり、揉み込んだりして時には鼻先を埋めた。脂肪の少ない腹に回った手は皮を引っ張ったり、骨を突っついたりした。 「ポチ、おれのこと抱きたい?」 「えっ」 「…冗談だよ。でも、抜いてあげる」  腰骨を叩いていた指がそのまま皮膚をなぞった。麦也は驚いて身を(よじ)る。 「あ、あの…」 「きちんとポチのポチ太郎の世話してあげないと。安心して。おれ手扱(てこ)き上手いらしいから」  まだ下着に手が入っていく。麦也はあうあうと戸惑った。先生のしなやかな手が陰部に伸びている。 「だめです、そんなの…」 「悪いことじゃないよ、気持ちいいことは」  耳が柔らかく喰まれた。麦也の強張った身体が弛緩する。 「自分でしないんだっけ?」 「あ…あぅ、」  反対の手が麦也の薄い胸板を漁った。異質な小さな丸みを冷たい指が見つけた。 「好きな子とかもいないんだっけ?」  耳元で話されると抵抗することが出来ず、また抵抗する意思があったのかも分からなかった。耳朶を舐められ、唾液の音が鼓膜に響くと大好きな先生の指の中で麦也の陰茎はむくむくと膨らんでいった。先生の反対の手はぷつりとした胸の先端を捏ねられ、麦也は寒気に似た痺れに全身を包まれる。 「せん…せ……っぁ、あっ…」 「可愛いね」  白猫ムグラに穢れた箇所を刺激される妄想が広がった。ピンク色の肉球に挟まれ、摩擦される。大きな吊り目が細まり、小さな口蓋から美味そうな舌が見え隠れする。 「やっぱり男の子だね。すごく大きいよ。硬さもあるし、形も良いね。ここは感じる?」  ただでさえ恥ずかしかったが育っていく過程まで先生に感じ取られている。敏感な括れの境界にある窪みを親指で押され、跳ね上がってしまいそうなほどの活気が腹の奥で渦巻いた。 「ああっ、先生……先生…ッ!」 「可愛い…おれも興奮してきちゃうよ…」  猫撫で声が聞こえたかと思うと耳介を舌が這った。 「ぁぅ…っあぁ…せんせ…」  本格的な手淫が始まる。胸の柔らかいところも先生の指に翻弄される。麦也は腰をかくかく揺らした。真後ろに寝そべる先生に臀部をぶつける。まるで大好きで慈しむ相手に性加害している気分になった。 「ごめんなさ、っあぁ…ごめんなさい、先生…あっ、ぁ…ア!」  口では先生を呼ぶが、頭の中は三角形の大きな耳を持った白猫ムグラでいっぱいだった。餅に似た白い裸体に(たぎ)りは勢力を増す。 「こんな可愛いのに、こっちはもうオトナなんだねぇ。すごくえっちだよ」 「先生……ァうぅ…、ぁう…」  爪先を丸めたり開いたり、足首を竦めてシーツを甚振る。扱かれる快感から逃れきれない。耳を舐められ、口に含まれると腰がさらにかくかく動いてしまった。尻で先生を研磨しているみたいな滑稽さがあった。 「また白いネバネバお漏らししようか」 「は、ぁううぅ…っ!お漏らし、いやです、あっぅ、お漏らし、ダメです、ぅっ!」  しかし先生は扱く手を速め、射精を促した。そこは麦也の巨根といえる体格や雰囲気からは想像のつかないグロテスクさで、悦びに泣き濡れた様がさらに禍々しく、解放の時を今か今かと切望していた。 「ポチ、おれの手、ポチの動物みたいな欲望で汚して?」 「あぅうう!」  麦也は腰をかくかく動かすことを止められなかった。骨にまでじわじわと響き渡る放出の快感と痺れと疼きが相殺(そうさい)されたような感覚に浸る。意識が朦朧としても、下半身は懸命に粘液を繁吹(しぶ)かせていた。先生の艶やかな手に粘度の高い白濁が掛かっている。 「あ…ぁ…あ……、」 「全部出さないとダメだろう?」 「あ、あううぅッ…!」  まだ脈動している芯を擦られ、麦也はびくびくと腰を振った。小さな孔が全体の収縮とともに残滓を吐き出す。 「敏感だね。でもそのうち慣れるよ。ちゃんと出さないと、身体に悪いからね」  麦也は先生と接している場所すべてに匂いを付けるように身体を揺らした。 「先生…」 「これくらいのことでカミサマは怒らないよ。ポチのちんちんの中の赤ちゃんが苦しい苦しいって言ってることのほうがカミサマは怒るよ」  濁粘液を付けたままの手が麦也の下腹部を(いたわ)る。急激に引いていく奇妙な焦燥感に安堵した。 「おれの中に出したい?ポチの赤ちゃんの種…」 「だめです、いけません。先生を汚してしまいます…」  くすくすと先生は笑った。 「大丈夫だよ、ポチ。ポチのは汚くないから…ううん、ポチになら汚されたい」 「いけません、いけません…!」  麦也は自身の白粘液で汚した先生の手を握った。 「舐められる?自分の…おれのためなら…?」 「はい。喜んで」  大好きな先生の掠れた声に麦也は心臓が張るような感じがした。深い憐憫の前に、拒否感は通用しなかった。先生の清らかな手を取って、畏れ多さにまず指先に接吻した。舌を突き出して自分の体液を掬う。わずかな塩映(しおはゆ)さと青い苦味、薬品染みた匂いがあった。味はそう濃くなかったが粘性を帯びているため舌先に残った。先生の皮膚が舌に触れる。汚物を早く取り除きたかった。水を飲む猫のように舐め、必要以上に唾液を(まぶ)す。大好きな先生の肌の柔らかさと匂いが麦也の飢渇を満たしていく。 「いい子…美味しい?」 「先生の御手(みて)が、とても…」 「御手(みて)って…おれは本尊(カミサマ)かい?」 「先生は僕の神様です!」  長く細くよく磨かれた大理石のような指を要求以上に舐め転がした。感極まって叫ぶと唾液が糸を引いて唇の端から落ちた。無抵抗だった指が今度は自ら麦也の口に入り込む。 「いやだよ、神様なんて。きちんと見届けて、おまえに触りたいよ」  先生の指に舌を引っ張られ、根本から掻き回される。麦也は自身の精液より緩く身体が溶けていくような心地がした。 「いやだよ、神様なんて。見下ろしてばっかりで、掬うのは足元(あし)ばっかり。人間にしか出来ないもっと気持ちいいことをしていたいよ、おれは」 「ああ…ああ…先生……先生…っ!」 「可愛いね」  舌を遊ばれ、涎を垂らす口角に口付けられただけで麦也は法悦に下半身を再び粘っこく潤ませた。微笑まれただけで(おぞ)しい筋と曲線を持った肉棒が白濁を携えて号泣する。 「またお漏らししちゃったの?」 「ああ…、先生………僕は浅ましい欲望の権化です…お尻を叩いてください…」  先生は麦也の口の中を混ぜながら、彼の丸く大きく穢らわしく澄んだ瞳を覗き込む。薄い唇が弧を描くのを見るだけで麦也は再び下腹部に萌動(ほうどう)を覚える。 「じゃあ、後ろを向いて」  優しい調子で指示されて麦也は名残惜しく先生に背中を向けた。麗しい腕が胸部に回った。ぷつりとした2点の周りを鱈の身を彷彿する指がくるくると円を描いた。 「おっぱいしてあげる。すぐここが好きになるよ」 「先生…っ、あ…ァぁっ…」  寒い時に意識させられる程度の部位が、先生に触れられるとみるみる第二の双亀頭(グランス)に変貌した。 「汗の匂いがするね。いやらしい。ほら、ここがキモチヨクなるって想像して。好きな子のおっぱい淫虐(いぢ)める想像でもいいから」  器用に小さな肉粒を摘まれ、引っ張られた。猫ならば複乳であるはずのムグラの乳首を想像してしまった。しかし耳の裏を舐められると一瞬でムグラは先生に変わった。子供向けアニメとして放映出来ないような淫らな夢に描き換えられた純白の毛のある豊満な胸ではなく、先生の平たい胸部を彩る薄い実に鼻の奥を殴られる。鼻血は出そうで出なかった。小さな凝りを捏ねられると臍の下を蕩けた痺れが駆け抜ける。いやらしい陋劣(ろうれつ)な淫像ばかりが先走った。 「先生……っ!先生の、お乳首にそんな……ぁっ、!」 「ポチ?」 「先生、先生のお乳首が、あ…あっ、そんな、先生っ、お胸がぁっ!ぁっ…!」  引っ張られ、擦り潰され、捏ね繰り回される先生の蜜粒の淫猥な妄想に麦也は喚き散らした。ひとつの肉体に三つも勃起を与えられ、経験のない爛れた曖昧な疼きに混乱する。嬲られる先生の胸粒になったような気分だった。 「先生、先生…、先生のお胸が、ああ……!壊れてしまいます!壊れてしまいます!先生のお乳首が壊れちゃうッ!」  指の腹の間で擦り潰されていた実が解放され、胸に当てられた両手は他意のなさそうな抱擁になる。 「……………………ポチ、何を想像しているの?」 「ぁあ……あぁ…先生……僕、先生のお乳首になってしまいそうです……」  動揺と混乱、興奮と快感に乱れる麦也へ先生はキスの雨を降らせた。すると彼は瞬く間に落ち着きを取り戻し、先生の愛猫になってしまう。頬や耳を後ろの飼主の顔に擦り付けた。 「おれのおっぱい、見たい?」 「はい」  即答した。耳元で大好きな先生が笑う。先生は胸部を晒す。(なまめ)かしく危険な色香が漂っていた。麦也は感嘆の声を漏らす。顔を近付ける。嗅覚は先生への莫大な尊敬を裏切り、麦也の理性を(そそのか)す。触覚は離れたというのに気を抜くと腰をかくかくへこへこと前後に揺らしてしまいそうだった。 「飲みたい?」 「ああ…ですが、そんな……」 「いいよ、おれの赤ちゃん」  先生は髪を梳きながら麦也を引き寄せた。 「ああ…!ああ…!先生…!」 「吸っていいんだよ。それとも我慢する?吸ってほしいな。おれもおっぱいしてほしい。ねぇ、ポチ。動物になろう?」 「先生……」 「授乳手コキも知らないで、悟りなんて開けないよ?」  先生のほうから卑猥な空気を帯びた乳頭を麦也の可憐な唇に咥えさせた。 「いっぱい舐めて…いっぱいして……ポチ、可愛いおれの赤ちゃん…」  麦也は夢中で吸った。先生の匂いに包まれ、空いた手も指が絡まり、体温を共有する。傷を舐めるように何度も舌を這わせ、吸い、唇で()む。 「ぁ……っん…すごく…、ぁ…上手だよ、…っあ、」 「先生……先生!幸せです、幸せです!」  顔を上げた麦也の頬に先生は首を伸ばして接吻した。感涙してしまう。胸が張り裂け、そこから幸福の卵が生まれそうだった。孵化すれば、この世にはおそらく幸福しかない。多幸感で気が狂うそうになりながら先生の暴雨に等しい接吻を受ける。その間も唾液に照る胸粒を麦也は触った。先生のどこかしらに接していなければもう息もできなかった。綺麗な形をした臍を穿(ほじ)ったり、脇腹を摩った。唇を胸に戻し、再び夢中で吸い付くし、舐め回し、愛撫する。震える細い腰を抱き留め、まるでそこに埋まった財宝を掘り起こす名犬の如く麦也は舌を遣った。 「ポチ…あっ、ポチ…ぁあっ、ンぅ、待って…ポチ…」  余裕のなくなった先生も麦也の頭を抱いた。掠れた言葉と揺れる腰はあまりにも淫靡だった。 「だめ、ポチ…おっぱいでイっちゃうよ、ポチ……あ、んっ…ポチ、あっ…そこ、あ、あっんんンっ!」  がくがく波打つ先生を抱き寄せ、麦也はまだそこを舐め続けた。がく、がく、と先生は腰を突き上げる。腹筋が蠢き、腕が弛緩した。 「先生…?」 「は、…ぁん……、ポチ…もう…だめ、」  潤んだ目が閉じた。白い手は添え物同然だったが麦也を止めようと試みる。唾液の糸を引いて、やっとバター犬と化した麦也は胸から離れた。 「先生…?」 「おっぱいでこんなイくの、初めてだから……」  息を切らしながら先生は麦也を撫で褒めた。麦也は飛び跳ねたいほどの喜びに呑まれる。赤らんだ先生の頬に頬を擦り付ける。先生は好きなようにさせた。麦也は身体中を先生にぶつけた。そのままひとつになってしまいたかった。大好きな匂いに包まれると飽きるほど流した涙がまた込み上がった。先生は気怠そうで、しかし腕だけは麦也を褒めることをやめなかった。歌い出して踊り出しそうな衝動は抑えてられるくせ、涙は止まらなくなってしまった。先生は母親や新しい父親、"あの人"のように「泣かないで」「泣くな」とは言わなかった。ただ顎から落ちていく涙を掬い取る。冷たい手の甲で光る筋を散らし、怒りもせず笑いもせず麦也を見つめた。 「ごめんなさい…」  喋ると横腹が引き攣った。先生は小首を傾げる。 「謝らなくていいんだよ。謝りたいなら、謝ればいいけれど」  麦也は顎で構える慈愛の手を両手で握り、額に当てて静かに涙を絞り出す。 「おまえの本尊(かみさま)がおまえに与えてくれたんだものね。どうせ傷付くのに前に進むのだから。やめたっていいけれど、それもまた苦しいだろう?」 「考えたこともありません…」  先生は自嘲気味な微笑を浮かべた。 「良かった。もうおまえの本尊(カミサマ)の前におれが許さないよ、そんなこと」 「幸せです。幸せです、先生……幸せです…!」 「ずっと祈るんだよ、おれのために。おれのために、ずっと、ずっと、祈るんだよ。おれと離れても、ずっとだ」  痙攣したように麦也は頷いた。描かれた未来図はあまりにも眩しすぎ、素敵な夢に想像力は限界を迎え、首肯する能しか残らなかった。 「はい!祈ります。先生…」  慈悲深い手に何度も接吻した。過ぎた多幸感は苦痛と恐怖に似ていた。麦也は悲鳴を上げて泣き叫んだ。先生は注意もせず、様子を見にきた楠葉を追い返し、泣き止むまで傍にいた。

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