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第7話 返礼

しん、と静まった場に細く、頼りない喘鳴(ぜんめい)が通る。 変わらない静けさ、その中にあっては切迫した息づかい。その出処は、琉依(りゅうゆい)に他ならない。うなされて、呼びかけていた時の比では無いほど、細い身体が震えている。 過ぎる震えに、がちがちと歯が触れ合う音まで聞こえる。乙慎(いつしん)がそんな主を囲う腕を、ゆるめた。 「な、に………これ……」 預けられていた身体がふらり、と揺れる。 突き放すように腕から離れ、危ういながらも立ち上がった。が、ふらふらとおぼつかない足どりに、重心が定まらない。倒れ込みそうになる所に、とっさに足を踏み出して進む程度の歩み。そうやっては何とか前に進むという状態で、琉依は歩き出した。 何度も転びそうになり、身体の奥底からこみ上げそうになる度に、押しとどめるように口を(ふさ)ぎ、足がもつれても、止まらずどこかへ向かう。 乙慎は遠ざかる後ろ姿を、ただ見送ることしかできず、膝立ちのまま呟いた。 「琉、依……」 ぽつりと呼ばれた名は、到底その人に届くことはない。それでも乙慎は、ゆっくりと小さくなる主の背を追って、足を踏み出す。 人の手が作ったものといえ、この園庭には水が引かれ、河川として設えてある。二人がいたあの大木の下からは、決して遠いものでは無い。距離にすれば、走ったとして、指折り五つもかからないほどだ。 その川辺へ向かおうとする主人の、危なげな歩みを見守り、従者は何度も支えようと、駆け寄り――伸ばした手を下ろす。その繰り返し。 危ない、と。咄嗟(とっさ)の事に身体は動く。しかし、そこから触れることが、どうしてかできなかった。こんなにも長くそばにいて、その人のために生きていると言っても過言ではない。 ゆえに、主の身を守ろうと身体が動くのに――そこまでなのだ。 何故、止まることができるのかと問い詰めたくなるほどに、手が止まり、とそこで終わる一連の動作。 同時に乙慎の心中には、強い後悔があった。それは敬い、仕える主の決断であろうとも、事を進めるべきではなかったという一点に尽きる悔恨(かいこん)だった。 さらに言えば、あの時決めたようにやはり一生預かるべきだったのだ。それがどんなに重く、苦渋(くじゅう)そのものであったとしても。返す、などと聞こえは良いがその(じつ)、結局は早々に手放したかっただけなのだとしたら。 追いかけるための足が止まった。醜い心根が知れたような気さえして、口許が歪んだように引き上がる。 ――そう、私が一番弱い。

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