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9 ワクワクしているな。
俺は、学校が大好きっていうタイプじゃなかった。
たとえば、学級閉鎖とかで学校には来ちゃダメ、外にも出ちゃダメ、ってなった場合に残念とは思わず、やった! 篭もれる! って思うタイプ。
完全インドア派。
部屋で漫画を読んでるほうが断然嬉しい派。
学校に行くがイヤなわけじゃないし、来たら来たで、陸とか友だちもいて楽しいけどね。でも、学校に来ることにワクワクするタイプじゃなかったよ。
「ワクワクしているな……」
「うわぁぁぁ! ちょっ! も、なんだよ! 陸っ」
ホームルームが終わった直後、普段だったら俺の席の前、前田さんの席に座るのに、なんで音もなく背後から肩を突付くかな。びっくりして、でっかい声を教室で出しちゃったじゃん。ちょっと目線こっちに来ちゃったじゃん。
「いやぁ、なんかワクワクした顔をしてるからさぁ」
「は、はぁ?」
ワクワクなんて……。
「ふふふ、さては」
「な、なんだよ」
「恋! だなっ!」
「ぶっ、ゲホッ、ゴホッ」
何も食べてないのにむせちゃったじゃんか。
「はぁぁぁ? おまっ」
「ほら、動揺してるぅ」
「してないっつうの」
「してるしてる、ほらそういうとこが動揺っていうんだぞ」
「ちがっ、違うって!」
別に動揺してないし。
ただ、今日は月曜で、音楽室を借りられて、そんで俺は陸上部の練習がないから、その。それから、そうそう、土日しっかり指のストレッチに体操もしたから、若干指の動きが良くなってるかなぁってさ。だから、この前よりはもう少しちゃんとした演奏ができそうだなぁって、思っただけだし。
「ワクワクしないし」
「けど、放課後なんか用事があるんだろ?」
「! そ、それは、あるけど」
「そんで嬉しそうにしてたじゃんか、今日一日」
「し、してないし」
そういうのじゃないし。
「それに、用事があるのって、別に女の子に会うとかじゃないからっ、だから恋とかじゃないって」
「へ?」
「そ、そんじゃあなっ」
「え? おい、その台詞、腐男子の俺にとっては、むしろワクワクが止まらないんだけど」
「止めろっ」
「もしくは、フラグ?」
「フラグじゃないっ」
そう言って立ち上がった。
恋じゃない。フラグでもない。
恋なわけない。だって、相手は――。
マラソンやってるからただ走るだけなら得意っていうか、慣れてるんだけど、でも、階段はあんまり得意じゃなくて。
その階段を駆け上がって、一番上、五階に到着するとまだ遠くだけれど、ポロンポロンって小さくピアノの音がした。
ほら、またポロンって。
音を出して遊んでるみたいな。
そして、それ以外にはなんの音もしない廊下を走る。うちの高校はサンダルなんだけど、そのサンダルがペタペタと呑気そうな音をさせたら、ピアノの音が止まった。
「……白石」
ピアノのとこに市井がいた。
「ご、ごめん、遅く」
ワクワクとかはちょっとはしたかもしれないけど、でも恋とかではないから。全然、そういうのじゃないし。相手は男子だし。
「俺も今来た」
「そっか……って、やっぱごめん! 俺、音楽室の鍵とか全然」
市井がピアノのとこに座って、勢いよく入ってきた俺にふわりと笑う。
「いいよ。これ、言い出したの、俺だし」
ふわりと笑われてさ。
「始める?」
「あ、うん」
ちょっと、ほら、階段は得意じゃないから。マラソンと違うから、だから、その。
「白石」
「へっ? ぁ、何?」
「少し休憩してからにするか?」
「へ? ぇ、なんでっ? まだ始めてもないのに」
「顔」
「?」
市井が自分のほっぺたを指差した。
「赤いから、走って疲れたのかなって」
――恋! だなっ!
そういうことじゃないから。このほっぺたも、心臓のとこも、陸の思ってるようなフラグじゃない。だから脳内でいきなり再生された陸の変な呟きを力を込めて蓋しておいた。
指、けっこう動くんじゃない?
ほらほら、またつまずかずにいけた。
ほら、市井が笑ってる。
な? ジャジャジャーン、でしょ?
「なんか、この前より上手だな」
「!」
俺がノーミスで演奏し終えたと同時、パチパチと拍手をくれた。
「指体操の成果」
「……だな」
俺もノーミスだったことが嬉しくて、掌をぱっと目の前に広げて、わきわきと変なスケベ親父みたいに動かした。
「あ! ごめん、気が付かなかった。啓太も座りたいよな」
肉離れしてんだもん。立ったままは痛いでしょ。
「あー、いや……じゃあ、ありがと」
「……」
ちょっと、一瞬、緊張した。
市井が俺の隣に座ったから。
うちの学校のピアノって椅子が横長なんだ。どこもがそうなってるわけじゃない。一人用の椅子のところだってあるだろうけど、ここは背もたれのない横長の椅子で、その横にちょこんと市井が腰を下ろした。
「あわっ! ど、どうぞ!」
真ん中に座っていた俺は慌てて、その横長椅子の半分を市井に明け渡すと、お礼を言って市井が座りなおす。ちょうど半分子。
「ピアノ」
「へっ?」
「弾けるのってすごいな」
「……いやいや」
そんなことは。ノーミスっていうだけでして。まだまだ演奏はへたっぴでして。
「ぼっちでしかやったことないから、ピアノと合わせられるの、すげぇ楽しい」
イケメン、だからなんだ。
「い、いえいえ、恐縮です」
そういうことじゃない。
このなんか熱い気がするほっぺたも、なんか騒がしい気がする心臓のとこも、全然、陸の思ってるような。
――ワクワクしているな……。
そういうのじゃないんだからって、脳内でいきなり再生された陸の変な呟きに、力を込めて、ぎゅっぎゅって蓋してさ。
「あ……」
「ひゃい!」
「雨だ……」
「えぇっ!」
ぎゅぎゅって蓋を……。
「……雨、降ってる」
――ふふふ、さては。
蓋をし忘れるほど、隣で、じっと窓の向こうを見つめる市井の整った横顔を、じっと……見つめてしまった。
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