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12 グラグラ

「……つまり、そういうことなだけだから」  音楽室は自由席だから、その端っこに陣取って、こっそりと裸足になり小指の皮と、かかとの皮のズル剥け具合に、ちょっとだけびっくりした。  絆創膏を一枚じゃなく何枚も分けてもらえたことに感謝しつつ、市井もこのくらいやっちゃったのかな、とか考えてた。右と左の小指と、かかと。  痛かったけど、ものすごく痛かったけど、思っていた以上のズル剥け方をしてたんだ。見たとき、思わず「わぁ……」って呟くくらいにはけっこうな怪我っぷりだった。  そしてそんなことを予測していたかのように、市井がわけてくれた保健室の絆創膏をぺたりぺたりって貼りながら、彼女なんていないと何度言っても信じないメンドクサイ陸にハンドフルートのことを話した。 「……へぇ」 「わかった?」  彼女はいないし、ワクワクは……ちょっとしてたけど、でも、全然、陸が思っているようなワクワクじゃないから。そういうのじゃないから。 「そっか……」 「わかった? 陸」 「……」  陸は先生の入ってくる扉のほうをじっと見つめてた。 「けどさぁ」 「?」 「なんか、秘密にしたいのか?」 「? 何が?」 「いやー、だってさぁ、なんか、俺が柘玖志に話しかけようとしたら、急いで行っちゃったし」  啓太は絆創膏を渡しただけですぐにA組に引き返してた。 「二人でやってるんだろ? けど、俺、柘玖志が市井と一緒にいるとこなんて見たことないしさぁ」  それは、そういうタイミングがなかったからなんじゃ……ない? 「あと、そんなことしてたらさぁ、市井の取り巻き女子とか、友だちとか音楽室に来そうじゃん」  それは……えっと。 「市井の周りっていっつも誰かしらがいるだろ? けど、今も珍しく一人だったし」  それも……そうだ。たしかに、市井ってすごく人気があって、誰かがいつも市井のことを呼んでて、探してて、話しかけてる気がする。 「け、けどっ」 「はーい、音楽の授業を始めますよー」  何か、反論したかった。何をどう反論したかったのかわかわらないけど、陸が言ってたことをとりあえず気のせいにしたくて、口を開いたところで音楽の先生が入ってきてしまった。入ってきて、そして、ちょうど昨日、俺が弾いたピアノを弾いて、二人で座席半分こにして座った椅子に座って、二人で演奏をした教室に……。いっつも誰かが周りにいた印象があったけど。  でも、ここ最近で知った市井はいつも一人だった。市井しかいなかった。  だからかな、すこーし苦手なモテエリアの住人、モテ男子って感じがしなかったんだ。  その感じがしないのは嬉しいんだけどさ。そのモテ感が漂ってたら、俺はピアノ弾こうなん思わなかったけどさ。  けど、どうして、周りに誰もいないんだろう。 「……」  どうして、俺と一緒にいる時の市井はいつも、一人なんだろう。  明日の練習、あるよね? がいいんじゃない? うん、いいと思う。さりげなくさ、スマホでやり取りすることもできるけど、ほら、ちょうど、階段はA組を出てすぐんところじゃん? だから、階段へ向かう途中で、そうだそうだ、なぁ、市井、みたいなノリでさ。あ、でも、そしたら何の練習って他の人が興味持ちすぎちゃうかな。  じゃあ、絆創膏は? ありがとうって言ってさ。  あー、でもそれでも女子が、何々? って会話を聞いてそう。  それじゃあそれじゃあ、えっと、あとは。 「えー? 市井君も飲むでしょ? ジュース、買ってきてあげる」  突然、入り口のところから聞こえてきた声は背後からだった。可愛い女の子の声。俺が考え込んでたせいで通り過ぎちゃったとこの、ドアが開いて、そこから中にまだいるんだろう市井を呼ぶ声が聞こえてきて。 「っ!」  思わず、すぐそこ、A組のすぐ横にあるの階段へ、咄嗟にさ、隠れたんだ。  条件反射みたいなもの。なんか、隠れちゃった。 「……」  だって、うちのE組からA組までの長い廊下で陸の言っていたことと、今まで持っていた市井のイメージが交互に頭の中に浮かんで消えてを繰り返すから。  市井の周りにいた友だちみーんなさ、人気があって、女子とかめっちゃ可愛くて、男子だってイケメンばっかで、背が高くて。  俺の愛読少女漫画みたいだったから。地味? え? どこがすか? って訊きたくなるくらい、本気で地味にはちいいいいっとも見えない主人公の女の子と、その女の子を見つけ出した超絶イケメン王子とのラブロマンス、みたいな少女漫画世界の人だから。  俺はその世界の読者でしかなくて、自分の身には決して起こることのない物語だから。  つまりはさ……。  不釣合いすぎる気がして。 「……」  今、話しかけたら、思い切り「空気の読めない奴」な気がした。  そして、今、話しかけても、市井が困るんじゃないかなぁって気がさ、したんだ。 「っ」  そんで、そんな気がたくさんしてきたら、今度は、なんかすごく悲しくてたまらなくなって、ちょっと、普段はもう少し元気のありそうなサンダルのペタペタって足音が、ぺたーん、ぺたーんって、しょぼれくて、寂しそうで、階段を上る気力が――。 「っと、あっぶな」 「……」  適当に階段を上ってたら、しょぼくれすぎたサンダルが爪先から落っこちて、俺はその拍子に靴下で滑りそうになり、サンダル共々、階段を転げ落ちそうになった。 「平気か? 白石」  落ちるって思ったんだけど、でも、落ちなかった。 「ぁ、市井」  市井が後ろから俺を受け止めてくれたから。 「大丈夫だったか?」 「……」  あぁーって落ちそうだった。奈落の底へまっさかさまコースだった。それを市井が受け止めてくれて、まっさかさまにはならなかった。  あと、すごい頑丈だった。 「あれ、市井クーン?」  さっきの女の子の声。廊下の壁からひょこっと出てきたその女子の綺麗なサラサラな髪がゆらゆらと揺れてるのが市井の背中越しに見えた。 「ご、ごめんっ、ありがとうっ」  慌てて、急いで、お辞儀をしてその場を走り去った。ほら、邪魔しちゃいけないじゃん? 少女漫画の世界において、モブは黙って周りに座ってたり立ってたり、していないと。階段を転げ落ちそうになるなんて、エピソードもいらないし、ましてや主人公が恋する男子から話しかけられることもない。  だから、急いでその場から退場した。  そして退場しながら、卑屈な気持ちって初めてなったなぁって戸惑ったり、なんでか足の小指とかかとのとは違う痛みを胸の辺りに感じた気がした。  きっと気のせいだけれど、原因がわからないその痛いはそのままにするしかないんだけど。  でもやっぱり、痛くて、悲しい気持ちがした。

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