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14 両片想い

 やな奴って思われたら……やだなぁ。  練習すっぽかした奴って思われたら……やだなぁ。  あの子と次の練習とか……や――。 「!」  慌てて、自分のおでこを掌でぺちんと叩いた。  今のは、なし! 思っちゃいけないことだった。っていうか、その考えが意味わからないから。いかんいかん。市井が誰と練習したいのかは市井の自由じゃん。断ったの俺じゃん。そう今日一日ひっくいままだった気持ちを引きずったまま帰ろうと席を立った。 「……」  当たり前だけど。A組のとこ通らないと帰れないんだよな。  あの子も市井もA組なんだ、よな。  あの子が、これからピアノを一緒にするのとか、市井のハンドフルートをするとこを見ちゃうのとか、が……や――。 「!」  また、慌てて、自分のおでこを掌でぺちんと叩いて。 「……」  なんでか、もう一回、ぺちんって叩いた。なんとなく、叩いた。 「あれ? 今日、練習じゃなかったん?」 「……陸」  振り返ると陸がいた。 「どした? そのデコ。真っ赤だぞ?」 「……別に」 「練習は?」 「……別に」  陸が溜め息をついて、今日はテンションひっくいままだねぇって呟いた。 「陸は? 帰らないの?」 「俺は」  その時、廊下を曲がったところで、向こうから来ていた女子とぶつかりそうになった。 「わっ、ごめんっ」  きっとその子はちょうどA組から出てきて階段を上ろうとしてたとこで、俺らは階段を下りよとしてたとこ。  ごっちん。  ってなるところだった。 「ううん。ごめんね。私も前見てなくて」  サラサラ女子だ。  顔なんてあんま見てないよ。でも、声の感じが似てた気がする。髪がサラサラしてたし、小さいし。 「かっわいいよなぁ、A組の」 「知んない。陸ってそういうの思うんだな」 「あら! お前、まだトゲトゲしてんねぇ。あのねぇ、俺は腐男子だけど、恋愛対象は女の子だぞ!」 「だから、知んないって」  可愛いのなんて見ればわかるし。  すっごい可愛い子で、市井はすっごいカッコ良くて、そんで二人は同じクラスで、仲がいいっぽくて……そんでそんな二人が並んだら……さ。 「……」 「あ、そういえばさぁ」  並んだら、絵に描いたような美男美女でさ。 「お前、この前、朝さ、市井と喋ってたじゃん?」  絵に描いたような、それこそ少女漫画みたいなベストカップルだって、さ。 「佐藤さんも市井のこと好きなんだってさ」 「佐藤って誰」 「今の子。知んねーの?」 「……」  知んねーです。 「けどさ、市井って今まであんなにモテてんのに告られても断るらしい。都市伝説かもしれんけど。あんなイケメンで彼女いないって、ありえんけどさぁ。もしも、もしもよ? もしもそれが本当だとしてよ? でもあの子が告ったらさぁ」 「知んない! もしもし言うなっ」 「いや、俺はもしもしじゃなくて」  陸の呑気そうな噂話はもういい。 「俺! 今日、急いでるから!」 「あ、ちょっ、柘玖志」 「買いたい漫画があるんだよ。じゃーな」  もう聞くたくないから、走り出した。  まだ何か陸が喋ってたけど、構わず走り出して、走りながら、漫画の登場人物みたいなベストカップルのことを頭の中で思い浮かべた。 「っ」  思い浮かべたら、なんか、痛い。 「って、悪いもんでも食べた、かな」  何に俺はイライラしてるんだろう。  ピアノ、あの子に市井が頼んだから? けどさ、俺、六年もブランクあるじゃん。普通に考えて、今も習ってる子のほうにさ、演奏頼みたくなるの当たり前じゃん?  そのことを先に相談してくれなかったから? だからこんなイライラしてんの?  別に市井から何も聞いてないじゃん。これから言うつもりだったかもしれないじゃん。それなのに、話とかせずに帰ってきちゃったんじゃん。 「あ……」  ふと、気がついた。  あの子、上に上がろうとしてた。階段を上に上ってこうとしてた。上には、音楽室がある。市井がいる、音楽室が。 「……」  音楽室に行くのかな。そんで、あの酔っ払い猫が千鳥足で鍵盤の上を歩いてるみたいな猫ふんじゃったを聞くのかな。  そして、もう一つ、ふと、気がついた。  前に市井に好きな子のことを聞いたら、なんかリアクションが変だったんだ。困ったような顔をしてた。何か言いたそうな、けど言えなくて困った感じ。俺はそんな市井を見て、話を逸らしたんだ。あれは……このことだったのかもしれない。言いたかったことは、市井には好きな子がいて、その好きな子といい感じになれて、ピアノをその子に頼めそうなんだけど、俺に先にノリで頼んじゃったから、どうしようって。  なら、あれじゃん。  少女漫画的に言えば、最高に俺が好きな「両片想いシチュ」ってやつじゃん。お互いに実はお互いのことを好きなのに、言えないまま、すれ違ってくっていうやつ。なんでわかんないの? ねえ、それフラグだってば、っていうの読んでてもだもだするけど、くっついた時のヤッター感がハンパなくてさ。すごい好きなシチュじゃん。  だから、きっとくっつくよ。リアル少女漫画だ。イケメンと可愛い子での両片想い。 「っ」  そう思ったら、痛いのは別の場所へと移動した。お腹じゃなくて、もう少し上のとこ。胸のところが痛くて、痛くて、意味がわかんなかった。 「俺、そんなにピアノやりたかったんだ……っけ」  別にちゃんと考えたら、全然いいじゃんってことなのに。受験もあって、夏の最後のマラソン大会があって、今、このちょっと忙しそうな高校三年の夏に部活でもお勉強でもないピアノ、しかも六年前に辞めたピアノを率先してやる必要なんてなかったじゃん。  だから、これで……いい……はずなのに、やっぱり、そう思おうとする度に、胸のところが痛くて、気持ちがしょんぼりとした。

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