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18 世界がキラキラ
「うわ……何、鏡の前で髪型チェックとかしてんの?」
妹がザ・ドン引きみたいな顔をして洗面所の入り口に立っていた。
「……紬(つむぎ)、んもー、ほっとけよ。いいだろ」
前髪くらい整えたっていいじゃんか。
花のジェーケーだかしんないけど、お前のほうがよぉぉぉっぽど鏡の前でのチェックが長いっつうの。その前髪の一部分が右にいこうが左にいこうが、大差ないって。
なんてことは言ってもケンカになるだけだから、そんで、ケンカになったら俺は負けるだろうから、そっと、小うるさい、人の自転車をすぐに乗ってっちゃう妹に鏡を譲った。
いいんだ。
そのおかげで俺はあの夜、公園を通ろうと思ったわけだし。あの公園を通ったから、俺は市……じゃなくて、啓太と話をするチャンスが出来たんだから。
「いってきまーす」
世界が、ちょっとだけ、ちょびーっとだけ、変わった。
別に、朝日が眩しいぜ! ってわけじゃない。世界がキラッキラに輝いて、朝露すらダイヤモンドだぜ! って、わけでもない。もちろん、待ち合わせ場所にしたあの公園をぐるりと囲う元気ハツラツな向日葵を見て、「うふふふ」なんて微笑むこともない。
でも、やっぱりちょっとだけ変わったんだ。
そう劇的な変化じゃないけど、たしかに、街中をいくカップルをじっと見つめちゃうくらいには変化した。
「あ、今日の放課後さぁ」
「えー、なぁに? マサクン」
ちょうど今通りかかった、あれは高校生じゃなくて、中学生だけど、カップルの会話に耳を澄ますとか、かな。
マサクンと放課後デートとかなのかなぁって想像してみたりして。
今までリア充爆発しろ、とか過激なことを思ったことなんてないけど、でも、なんというか、別世界の出来事っていうかさ。俺が誰かとお付き合いをするとかそういうのはまだまだ先のことって思っていた。
興味がないわけじゃないけど。
陸とか、周りもあんまり血相変えて彼女が欲しいぞゾンビになってないせいもあるのかも。別に、いないならいないで。そのうち機会があればぁ、みたいなノリで思ってたんだ。だから、街中を行き交うカップルを見てもとくに興味もなくて。それを見て、あーだこーだと考えることもなかった。
「柘玖志」
「!」
今は、あーだこーだと色々考えてみたり。
「はよ、柘玖志」
「おっ、はよっ、け、啓太っ」
カップルが手を繋いでたりすると、参考にってその手をじっと見ちゃったり。
「柘玖志?」
「! ご、ごめん」
朝、一緒に行こうって話してたんだ。夜さ、スマホでぽちぽち、やりとりしてた。もう連絡先は前に交換してて、練習明日、とかそういうやりとりは多少してたから。
待ち合わせの場所はこの公園。歩きだったらこの公園をぶった切って横切ると早いから、そこで待ち合わせようって。
小学校、中学校の学区で言うと別なんだけど、家と家の距離でいうと近い。この公園がその学区を分ける境目になってるんだって話してた。小学、中学の友だちでお互いに共通するような人は一人もいなそうだった。
他愛のない会話だったんだけどさ。でも、あんなに、夜更かしするほど長くやりとりしたのは始めてだった。
「そ、それじゃあ、行こっか」
「あのさ、柘玖志」
「?」
「なんか昨日は、その……話の展開すごすぎて、俺は嬉しいばっかだったから、さ」
「……うん」
啓太が深呼吸をした。
「その、付き合うって……思っていい?」
「……」
「柘玖志、は……男同士って、抵抗感とか」
「わかってるよ」
「……」
そうなんだ。
普通はさ、男同士ってことに自分でびっくりしたり、ウソだろって思ったり、するでしょ。
俺、好みのタイプは一応女の子だし。
今までだって、気になる子は女の子だったし。
でも、びっくりしなかったんだ。抵抗感もなくさ、スルスルって気持ちがその形になったんだ。
「俺が啓太の彼氏で」
「……」
「啓太が、俺の彼氏ってこと」
ハートの形に、スルスルーって変わっていった。
「わかってるよ? って、えっ! け、啓太?」
今度はスルスルスルーって、啓太がその場にしゃがみ……込めないんだ。足、肉離れしてるから。膝をついて、俯いてしまった。
「だ、大丈夫?」
「なんかさ……」
「啓太?」
「なんか、柘玖志って、すごいんだけど」
「はっ?」
「俺、けっこう、何度か殺されかけてる」
「はぁ?」
啓太がそこで耳まで真っ赤にしながら、困ったように笑った。笑って、また前髪をくしゃってした。
「ピアノの指体操の時、指の長さ比べって言って、触ってくるし」
「なっ、だって」
何、その俺、セクハラおじさんみたいじゃん。触ってくるって。
「急すぎて心臓止まるかと思った」
好きな子にいきなり手、触られたら、びっくりするだろ? って啓太は笑ってる。
「他にも色々あるけど、今日のは一番来た」
すごいのは、啓太のほうだ。俺も何度か心臓が不整脈になっちゃってるもん。
「柘玖志が、俺の彼氏、とかさ……」
溜め息ついて、そんな嬉しそうに笑って、目を細めてさ。
「じゃあ、学校行こう、か」
「あ、うん」
横を並んで歩くだけでも、ドキドキしちゃうじゃん。
「あ、そうだ、柘玖志、これ、聴く? 音楽」
「え?」
「ハンドフルートのすっげぇ有名な人の演奏、ちゃんと、イヤホン持ってきたから」
「……」
う。
「ハンパなく上手いから」
「あ、りがと」
うわぁ。
「はい」
これって、まさかのイヤホンはんぶんこってやつじゃん。
手の中にポトンっと落っことされた黒いイヤホンをお辞儀して耳にくっつけると、啓太がスマホで音楽を再生してくれた。
俺と啓太の耳に同時に流れ込んでくる軽やかなピアノの澄んだ音。それに合わせるようにハンドフルートの優しい音が重なった。
「上手いよな」
上手いけどさ。
「この人はすげぇ上手いんだ。そんでこの曲、めっちゃハンドフルートに合うなぁって」
「っていうか! これ! ピアノの人もめっちゃ上手じゃん!」
啓太はいいよ。上手いし、器用だし、できるよ。けどさ、けどさ、俺は不器用でドンクサイから、この人みたいに上手になんて。
「柘玖志はピアノ、上手いじゃん」
「上手くないって、あの、俺のピアノとかね、ホント」
「俺、柘玖志がピアノ弾いてるとこ、綺麗で好きだよ」
ホント。俺の不整脈もすごいんですけど。
耳のとこで音が踊ってるみたいに、鼓動が踊る。
世界が劇的に変化したわけじゃない。朝露が輝いてダイヤモンドだぜってわけでもない。燦燦太陽みたいな向日葵に目が眩むわけでもない。
でも、一つだけ、眩しいものがあった。
「柘玖志? 行こう」
「は、はいっ」
「なんで敬語」
「いや、なんか、なんとなくっ」
俺の彼氏が、なんだかとても眩しかった。
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