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22 ぬりかべ
好きな人と、隣り合わせでの勉強会。触れてしまいそうな肩と肩の間の距離にソワソワしたり。ほんのり感じられる気がする相手の体温にドキドキしたり。
意識が数学の問題よりも隣の彼へと向いてしまう。
ふと、その彼が手元にあった自分のノートに何かを綴った。彼のノートではなく自分の。
なんだろうとその手元を覗き込むと、シャーペンの切っ先がくるりくるりとアイススケートのように紙の上を滑っていく。カリカリと真っ白なノートをシャーペンが引っ掻く音が私語厳禁の図書館の中で耳をくすぐる。
シャーペンが綴ったのはとてもシンプルな告白の恋文だった。
『好きです。付き合ってください』
そう、少し斜め上上がりの文字で書かれていた。それを読んで、静かに、隣へ。
『もう、付き合ってるだろ』
綺麗な文字がそんな返事を書いて。二人で笑った。
「なにそれ! 超素敵じゃん! なんていう漫画? 俺も読みたい」
『アホ、BLに決まってるだろ。俺が読むんだから。前に読んだんだ、すっげほのぼの系の話。お前の図書館デートの話聞いてたら思い出して、今、音読したった』
ほのぼのなんだ。ほのぼの読むんだ。陸も。
っていうか、音読しなくてもいいから。
『濡れ場もあるぞ。読んだろか? 喘ぎ声』
「な! いらないっつうの」
あはははって呑気に笑ってるのが耳元からスマホを介して聞こえてきた。これでそのほのぼの系だけど濡れ場ばっちりのとこを読まれたら、耳元で、陸の喘ぎ声とか聞こえたら、もう……白目になって泡をふく。
別にBLが苦手ってことじゃない。読まないけど。でも嫌いとかそういうことじゃなくてさ。陸が少女漫画は一切読まないのと同じように自分の琴線には触れない、みたいな感じ。
『にしても、その図書館すげぇなぁ、ガラス張りの個室とか!』
「うん、ハイテクだった」
『ガラス張りの完全密室、声は外には漏れないけれど、全部が丸見え……丸、見え』
「バーカ。完全防音じゃないってば、でかい声を出せば音は漏れるし、鍵もかからないから完全密室でもないってば」
『でかく叫ぶと聞こえる!』
「陸?」
『ガラス張りばり』
「何、バリバリって」
電話の向こうで陸が暴走し始めた気配がした。
名前を呼んでも、ふふふって笑うばかり。
「おーい、陸」
『萌えるなその図書館』
「おーいってばー」
『っていうかさ、そんで、お前は部屋、ど―すんの?』
会話の展開がさ、早いんだよ。陸は。会話の暴走に急ブレーキをかけて、そもそもの電話の目的だった、俺の部屋にぬりかべところに話が戻った。
「うーん、もういっそ、本を引越しさせるっていうのもありかなと」
『っていうか、勉強だけなら、別にそのまま図書館でやればいいだろ』
「まあ、勉強はね。けどさ、やっぱ、ほら、お互いのうちに行ったりするだろうしさぁ」
『……』
「啓太んちにはお邪魔するのに、俺んちには来ちゃ駄目ってっていうもはさ、不公平じゃん?」
『……』
「だからいずれはうちにだって、って、陸? 話聞いてる? また萌え暴走してんのか?」
返事がないから、ぼーっとしてるか、陸の部屋にもあるそれはそれは大きな本棚の中から何か読み耽り始めて聞いてないのかと思った。
『はぁ……』
けれど、一応は聞いていたらしい。暑っ苦しいほどの溜め息を思いきり吐かれた。
「なんだよ」
『可哀想に……啓太くん』
「なっ、なんだよ!」
『はぁぁあ……』
「だからなんなんだよ、その溜め息はっ」
こっちはお前くらいしか相談できないっつうのに。
『まぁ、いいんじゃね』
「? 何が?」
『本そのままでさ』
「えぇぇえ、やだよ」
遊びに来る度にこの大量の本たちを引っ越しさせるなんて大変だし。それならいっそそのままでいればいいって言われたってさ。
わかるよ。大変だし。ぬりかべ大移動だし。そもそもこのぬりかべを置く別のスペースなんてないし、紬の部屋なんかに置いた日にはすっごい大騒ぎになりそうだし。
けど、これこのままはさ。
引くでしょ。
壁一面、塗り壁のようにそびえ立つ少女漫画はちょっとさ、一番下にまだ空きスペースがあるけど、それだってすぐに埋まってしまう。新しい本を買ってすぐにそこに収納されるだろうから。
サッカー部の人気者と、少女漫画好きのインドア派。
色々違うんだよ。
『どうにもならん! お前の本棚はそのままだ! だから、図書館デートでいいんなら、別にこのままだっ!』
「んー」
そうなんだけど。勉強するっていうのが‘一番の目的だし。
「まぁ……」
『なんだよっ!』
「けどさぁ」
『けど、試験期間終わったら夏休みで、夏休みの最中もたまにでも会うんなら、毎回図書館はないだろ。飽きる』
「んー……」
『そしたら、本は捨てるか』
「えっ! 無理』
『じゃあ、そのまんましかないだろ』
けどさ……。
『真面目なこといえばさ。俺のこと腐男子って知ってるお前と一緒にいるの、気楽で楽しいよ。隠し事ないからな』
「……」
『隠し事! ないからなっ! ヒントはそれだけだ!』
「えっ、ちょっと! 待っ」
『そんじゃーな』
そして、薄情者の陸は電話を切ってしまった。
「うーん」
ベッドに転がりながら、壁に張り付くように並ぶたくさんの少女漫画に小さく唸った時だった。
――明日も図書館、行くだろ?
そんなメッセ―ジが来て、俺は、慌ててスマホを取ろうと思い、けど、スマホをベッド から落っことして、それを器用なことに足で蹴っ飛ばし、ベッドの下に入り込んでしまったのをどうにか家具を動かして、どうにか手に取って、そして。
――はい! もちろん!
そう急いでメッセージを送り返した。
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