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27 やばくない

 ヤバイ! やばいやばい、やばーい! そうそう、期末試験なんだよ。しかも、受験生で、夏で、高校三年生の期末試験なんだって。数学とかすっごい苦手なんだ。方程式を方程式としてさ、はい、解いてくださいって言われたら、んー、あー、うーん、う、うーん、って唸りながらもどうにか解けるんだ。けどさ、文章問題になった途端に、ほわぁってなるわけよ。なんというか、あれ、あれあれ、名言だと思うんだ。 『わからないところが、わからない』  まさに、この名言に尽きちゃう。本当に。  わからない? じゃあ、この問題のどの辺がわからないの? って訊かれてもね。「…………」ってなっちゃうわけ。全然わからないわけ。  そして、英語もさ。  日本にて、海外に行ったこともなければ、海外に行く予定も今のところなくて、道端を歩いていて「えくすきゅーずみー」って声をかけられたこともない。英語を話す機会もなければ、話す予定も今後はない。あるとしたら、カラオケ行って、歌で英語を片言で熱唱する程度。その場合は振り仮名がカタカナでちゃんと書いてあるから英語が読めなくも大丈夫。意味も、ラブソングね、程度の把握で大丈夫。  古文も、タイムスリップする予定はないから大丈夫。地理とか、方向音痴だけど、超インドア派だから大丈夫。あとは、あとは……。  とにかく、そんな感じで成績が中くらいの中の下の方だからとってもやばいんだ。本当に、大学進学とか、できるかなぁできないかもよ。それは困る、みたいな。  しかも、期末試験初日、いつもなら死んでた。  苦手な教科がずらりと並んでいたから。だから、いつもの俺なら、白目を剥いて失神しながら回答用紙にふらふらくねくねとミミズが這うような字を書いて、その字のごとくもがくしかなかった。  そのはずだったんだ。 「…………あれ?」  思わず、声に出ちゃった。  試験中で、カリカリって文字を書く音くらいしか聞こえない教室で、ついボソッとそんな声が零れて、慌てて背中を丸めて存在感を消した。  だって、やばいやばい、やばーい、って。  ならないんだけど。 「……」  ほら、解けた。数学、すごい苦手なのに。 「…………」  ほらほら、また解けた。わからないところが、ない。  ――あぁ、それはごっちゃになるから、左辺の式を右辺に移項するとかするんだ。 「…………」  また、解けた。  ――そう、それに直してから解く。 「すご……」 「コホン」  また思わず呟いたら、先生が咳払いをした。静かに、って注意を込めて。  けど、先生。解けちゃうんだってば。俺、すっごい苦手すぎて、わかんないところがわからないはずの数学の問題がさ、なんでかスルスルと、啓太のおかげで解けちゃったんだ。  チャイムと同時に溜め息が教室いっぱいに広がる。受験生の夏休みの前の期末試験なんて、大体の人が必死な時期だ。毎日ぎゅうぎゅう。 「…………」  けど、俺は、溜め息をつくほど、しんどくなくて。 「はぁぁ、どうだった? 柘玖志」 「……陸」 「いや、今日が山場だった。もう俺はその山場を乗り越えたら、あとはもう大丈夫……って思うことにする。もうあとのは全て一夜漬けの浅漬けだ」 「うん……」 「お前もか……お互い、頑張ろうなっ」  うん。なんか、俺、頑張っちゃった。  試験初日が終わった安堵感とまだまだ先は長いっていうがっくり感を物ともせずに、担任が教室へと戻ってきた。 「おーい、ホームルーム始めるぞー」  そんな声を聞いて、皆はまた溜め息で。 「はーい、それじゃあ、終わりだー」  そんな声で、皆がお辞儀をして。  皆が鞄を持って、ぞろぞろと教室を出る。帰ったらまた明日の試験に備えないといけないっていう、ちょっと肩の辺りがお化け以外の理由で重たくなりながら。  そして、俺も教室を出て、廊下へ。  ぞろぞろって。 「柘玖志、そんじゃーな」 「あ、うん」  ざざざーって。  皆が同じ方向へと歩いていく。うちのクラスがE組だからさ、一番端っこで、帰るにはDもCも、みーんなA組のあるほうへと向かうんだ。その先が階段だから。 「……」  その、ぞろぞろって流れていく皆の中で、まるで違って見えたんだ。  啓太がそこにいた。A組のドアのところにいて、誰かと話してたんだけど、ふとこっちへ顔を向けた。  目が、合った。  俺、漫画すっごい読むけど、目はいいんだ。ありがたいことに視力ならすごいあるんだ。だから、端と端、A組とE組でも、全然目が合ったってわかっちゃうから。  ほら。 「っ」  目が合った。  そして、ふわりと笑った。  目を細めてくしゃっと笑って、眉を上げて、無言で問いかける。  ――どうだった? 試験。  多分、そんな感じ。  だから、俺はコクンって頷いた。  できたよ。  すっごいできた。めちゃくちゃわかっちゃった。わからないところがわからない、がなかった。わからないが、なかった。啓太が教えてくれたのがわかりやすかったんだ。ありがとう。どの教科も今日のはもう苦手なのばっかりだったんだけど。  できたよ。  そう返事をした。コクンって一つ頷いただけじゃ、ほとんど伝えきれないけど。  ――なら、よかった。  そう言うように、またクシャッと笑う啓太がカッコ良すぎてさ。たぶん、話せる距離で、この会話をしてもきっと同じように「コクン」って頷くくらいしかできなかった。  A組から出てきた啓太の友だちが笑って啓太に話しかけて、その友だちに楽しそうに返事をする横顔が、めちゃくちゃカッコよくて。  胸が詰まり気味だから、短い返事をするのが精一杯だった。  試験は、やばいもの。  一夜漬けの浅漬けが当たり前。とりあえず、サインコサインタンジェントって唱えてみたりしながら、眠たい脳みそを叩き起こして、こなすもの――だったんだ。 「テスト終わったぁ! 柘玖志、お前どうだった? やっと解放されたぁ」 「できた! そんじゃあ、俺、帰るからっ」 「おー、よかったな」 「おーっ!」  今日は土曜日、そんで、試験は終了。解答用紙、全部もらった。  俺はホームルームが終わったと同時にE組を飛び出すと、DもCもBも、A組だってすっ飛ばして廊下を走る。  サンダルをぺたぺたさせながら。 「おっとっと」  たまに、すっぽ抜けそうになりながら、走って、階段を駆け下りてく。  ――外で待ってる。門出たとこ。  そうスマホの画面に表示したまま、ぎゅって手に握り締めたまま。 「啓太!」  ワープとか、できんのかな。もうそこに啓太がいた。  啓太がいて、俺を見つけて、やっぱりくしゃって笑って。 「柘玖志、お疲れ」 「できたよっ!」  その笑顔に、やっぱり俺は胸のとこが詰まり気味で、短くしか言葉にできなかった。

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