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34 リフティングって、こういうものです。
「そんなの思うのは、サッカー好きな奴だけだよっ!」
そう言い切ったら、啓太がびっくりしてた。
目を丸くして、何か気がついたみたいに。難しい数学の問題をパッと閃きで解けたみたいに。
「柘玖志」
「は、はい」
怒ったかな。サッカーなんてわからないくせにって。
「ちょっと付き合ってもらってもいい?」
「え、あ、うん」
「一回、家、戻るから」
「あ、うんっ」
啓太のうち、初めてだ。行ったことも住んでる場所も知らない。ただあの公園を挟んだどっか近く、なんだろうってことくらいしか。
「ジュニアユースん時、けっこう練習場が遠くてさ」
「う、ん」
「学校終わって、練習場まで電車とかじゃ無理っていうか、大変だからって、母さんが送ってくれてたんだ」
学校の宿題も軽い夕飯も行きの車の中で終わらせた。
練習が終わったら、帰りの車の中で夕飯を済ませた。全力で応援してくれてたって、すっごく穏やかな口調で教えてくれる啓太の横顔を沈みかけの夕陽が照らしてる。
「だから、サッカー部の連中じゃない柘玖志をうちに呼ぶと、なんか言われるかもって」
「……」
「心配は肉離れしてからずっとされてて」
子どもの頃から皆に上手いって言われてた。
ボールを持った瞬間、ディフェンダーが二人つく、けど、それをかわして駆け抜けてくのがたまんなかった。
上手くなりたくて、目指すところまで行きたくて、毎日、毎日、練習してた。プロサッカー選手にだってなれそうだって言われてた。
いつしか、サッカー選手になるのが夢になった。
「素直にさ、夢はサッカー選手って、そういっつも口に出して言ってたけど」
「……」
「それって、俺が決めたことなのかわかんなくなってた」
周りが褒めてくれるからかもしれない。
親がかけてくれる期待を実現させてあげたいだけなのかもしれない。送り迎えに弁当、遠征にかかるお金、母さんたちが自分のためにとしてくれる努力を無駄にしないようにしたいだけなのかもしれない。
「サッカー選手になるっていう、いつそう思うようになったのかもわかんねぇ夢と、そこから繋がってる皆の期待とか努力とかがさ、あの時、切れたみたいに思えた」
「……」
「肉離れした瞬間」
ブチブチって音が実際にした。サッカーの軸足が踏み込んだ瞬間、ものすごい音を立てて、皮膚の下で裂けるように切れた気がした。
「柘玖志にサッカー好きなんだって決めつけられた時、びっくりしたんだ」
「ご、ごめんっ」
「上手いって皆に褒められる前の、地区のサッカークラブでボールを持たせてもらった時、すげぇ楽しかったって思い出した」
まだ子どもでサッカーなんてしたことがなくて、ただでたらめにボールを蹴っていた時のこと。
「サッカー、楽しかったって、思い出した」
「…………」
前を見て歩いていた啓太が横にいる俺に顔を向けて微笑んだ。
「ここ、うちなんだ。ちょっとだけここで待ってて」
啓太のうちは普通の一軒家だった。玄関前に扉があって、そこから二段階段を登る。脇にはプランターからめちゃくちゃ伸びた朝顔がたくさんの葉を広げて、家の壁を登っていってた。
「ただいまー」
そう言ったと思ったらすぐに出てきた。その手にはボールがあった。
「いつもの公園、行こう」
眉を上げて笑った啓太がそのボールを本当に魔法のようにくるりと指先で回してさ。
びっくりした。
本当に啓太は魔法使いなのかもしれない。っていうか、そのボールもしかして生きてるんじゃないの? なんて思っちゃった。二段ある階段をそのボールを膝でトントン蹴り上げながら降りてくる。そんなことを普通の男子高校生にできるわけないって思った。これは、さすがに、マジで魔法なんじゃないだろうかとさ。
「あは、すげ、やっぱ、下手くそになってる」
笑って、信じられないことを言う啓太がまた蹴り上げたボールからはキラキラって、魔法の力で放たれた光が本当に見えた気がした。
リフティング、って、こういうものなのでしょうか。
「やば、本当に下手だわ」
そんなあっちこっちでボールをトントン蹴れるものなんでしょうか。
「うわっ」
バランスを崩したところで、慌てて、でもすぐに修正して、また膝の上でボールをきれいに蹴り上げられるものなんでしょうか。
「っと」
なんかわかる気がする。前まではわからなかったんだ。あの、よくあるじゃん、少女漫画でさ、イケメン男子がダンクシュートとか決めた瞬間、体育館に悲鳴があがる的なの。だって、そういう時、大概、主人公の女の子は「フーンだ。何よ。キャーキャー言われちゃって」ってヘソを曲げるから。
たかがスポーツがめっちゃ上手だからって、ワーキャー言わんでしょって思ってた。そのスポーツが上手いってことに騒ぐのはわかるけど、そのスポーツが上手いことでカッコ良さが増すわけなくない? って思ってた。んだけど。
けど、これはキャーキャー言うよ。
めっちゃ、かっこいいって思うよ。
「うわっ! ミスった」
啓太が蹴ったボールがポーンと弧を描いて公園の茂みの中へと落ちてしまった。
それを二人して探しに、茂みの中へと。
「こっちに落とした気がするけど」
「柘玖志は待ってろよ。茂みの枝で切るぞ」
「へーき、一緒に探す」
まるで宝探し。あっちかなこっちかな、この辺りだと思うんだけど。
「あ、あったあった! 啓太、こっちだ」
「……」
「おっとっとっと、あ、と、ちょっと、手が」
ボールは茂みの中、枝と枝の中にすっぽりと嵌っていた。それを取り出そうと手を伸ばしてみるけれど、俺の手はそうそう長いわけじゃなくて。ちょっと、もうちょっとなんだけど、爪の先っちょがボールの表面を今、ちょこんって触ったんだけど。
「貸して」
「あ、啓太」
背が高いから手も長い。
啓太がスっと手を伸ばし、そのボールを下から指で押して持ち上げる。そのまま押し出すように、指で突くと、ボールがまたポーンと小さく飛んだ。
「よかった、取れて。っていうか、啓太めっちゃ上手じゃん。びっくり、し……」
「……」
隣にいる啓太に振り返ったら、キスを、くれた。
「ありがとな。柘玖志」
「……」
「柘玖志のおかげでボール持つのがめっちゃ楽しい」
俺はなんもしてないんだ。たださ。ただ。
「……」
カッコいいなぁって見惚れてただけなんだ。内心わーきゃー騒いでただけでさ。
「えへへ」
あまりにかっこいいからキスしたかっただけで。啓太からのしてくれたキスが嬉しくて、そんで、自分からもキスをして、照れ臭くて笑っただけなんだ。
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