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35 黄色い悲鳴
漫画みたいな光景だった。
本当に黄色に悲鳴が聞こえるみたいなシチュエーションにも、啓太がすごい人気なのも。知ってたけど、こんな感じだなんて思ってなくて、びっくりした。
「柘玖志」
「は、はいっ」
「なんで、そんなところから見てんだよ」
「いやぁ……なんか、すごくて……」
部活の練習なのにギャラリーがいるっていうのは少女漫画の中の出来事だと思ってた。体育館をずらりと囲む女子生徒みたいなことが本当に起こるなんて思わなかった。
そんな中に混ざってサッカーの練習を見学なんてちょっと難易度高すぎて、俺は、グラウンドじゃなくて、グラウンドが見える昇降口のとこから見学していた。
「つまんないだろ、練習見てるのって」
「えっ、そんなことないよ。ただ女子がすごいなぁって思ってさ」
「女子?」
「準備運動の段階で女子のテンションすごかった。ってなんで笑ってんのっ」
「いや、準備運動っていう言い方が可愛くてさ。ウオーミングアップっていうから」
「!」
そもそもはインドア派なの。運動は大の苦手なの。体育の授業でやったサッカーとかもう暇を持て余すばっかだし。
「脚、どう?」
「……平気っぽい」
啓太がマッサージをするように肉離れをした太腿を撫でて、その顎から、ぽとりと汗の滴が落っこちた。午後練習、しんどいよね。日差しがピークの時間帯じゃないって言ったって、日陰一つないグラウンドの中をあっちこっち行ってってさ、走り回ってるんだから。
その汗を拭おうと啓太がTシャツの裾を引っ張り上げた。
「あ、タオル、ど、どうぞ」
「……」
「洗ってあるよ」
「ップ、そういう意味じゃないんだけど」
「?」
一応持ってきたんだ。
その、マネージャーとかが持ってそうなアイテムを。参考にしたのは少女漫画。やかんはちょっと持ってこなかったんだけどさ。うちにあるのを持ってきちゃうと母さんがめっちゃ探すだろうから。あとはスポーツドリンクと、タオル。レモンの蜂蜜漬けっていうのもあるらしいけど、レモンも蜂蜜もうちになくて。
「ありがと」
部活復帰、少し不安なんだって言われた。頼りないだろう俺のこと頼りにしてくれてるのが俺は嬉しくて、そんな俺が練習見に行くだけで嬉しいって、啓太が思ってくれるんならって。
「……柘玖志の匂いがする」
「! えっ、ごめっ、臭い? 洗ったよっ?」
「良い匂い。落ち着く……」
ドキッと、してしまった。
タオルで濡れた髪を拭く仕草に。さっきの腹見せに。なんというかさ、その仕草が、なんというか……あの、目のやり場に……。
「あ、休憩終わる」
どこを見ながら話せばいいのか分からなくて、どうしようか迷ってる間に、休憩時間が終わりましたと知らせるホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
「そんじゃ」
「あ、うんっ、いってらっしゃい」
本当に黄色い悲鳴なんてあるんだってびっくりしたけど、でも、わかる。
「……すご」
悲鳴は流石にないけど、体育の授業では暇で暇で仕方なかったサッカーを、あっという間に時間が過ぎてくほど夢中になって見てたから。啓太を目で追いかけることに忙しかったから。
「……」
でも、その目で追いかけまくってた啓太が近くに来たら目のやり場がなかったってことに、一人、ポツンと昇降口のところで戸惑っていた。
炎天下を避けての練習は午後三時から夕方の六時まで。帰る頃には陽がかなり傾いていた。
その斜めに傾いた日差しがバスの中に入ってきて、建物と建物の隙間から、たまに目潰し光線レベルの攻撃を仕掛けてくる。今も俯いて自分の足元に視線を送る啓太の肩を焦がす勢いで照らして、また建物の影になって消えて、また照らしてを繰り返していた。
「やば……明日筋肉痛かも。っていうか、すでに痛てぇ。マッサージしないと明日の練習走るのとかやばい」
「そんなに?」
「少し張り切りすぎたから」
啓太はずっと登下校がバスなんだと思ってた。家は近所だから、自転車の方が断然便利なはずだけど、バスの方が好きなんだと思ってた。でも、実際は肉離れの再発するかもしれないと自転車はあの公園での遭遇以来乗ってなかっただけだった。
そんなわけで、今日は自転車でも構わないんだけどさ。二人だからバスにした。
バスを待つ時間とバス停まで行く時間を考えたら自転車の方が便利。でもバスに乗ってる時間だけで行ったら、たかが十分くらい。あっという間だ。
そして、俺たちの降りるバス停の名前がアナウンスされて、啓太がボタンを押す。プシューって音を立ててバスの扉が開いて、外に降りると、さっきまで何度も食らっていた目潰し光線の夕日は全部建物の影に隠れてその威力をシャットアウトされていた。
「涼しいな……」
「うん」
俺はこっちの道。啓太んちはこの前教えてもらった。あっちの道。だからここで「バイバイ」ってする。
「……」
けど、啓太がバス停のところのガードレールに腰を下ろした。
「脚、やっぱ痛い?」
「……いや、平気。まだ踏ん張るのは恐る恐るだけど」
じゃあ、早く帰ってマッサージしないとだろ? だって明日も練習で、あと少ししたらサッカーの特別選手枠の入るための試験があるって。
「…………あの、さ」
「うん」
「試験、あるだろ?」
「うん……」
ふと、思った。不安、なのかなって。
だって練習にあんなにたくさんの人が見学に来る、準備、じゃなくて、ウオーミングアップの時点で皆が見つめてる。だからさ、試験だってすごいプレッシャーなんじゃないかなって。見られてる中で試験なんて誰だって緊張すんじゃん。
「あのさ! 啓太、今度の試験でさ! 試験終わったら、なんかご褒美ゲットっていうのはどう?」
「……」
合格したら、とかじゃなくてさ。そしたら結局不合格じゃダメなんだっていうプレッシャーにしかならないじゃん? だから、そうじゃなくて、試験が終わったらもうご褒美。
「なんでもいいよ。食いたいものとか、あとは、なんだろ。なんでも、奢るし、どっか行きたいとこあったら付き合うし」
「……」
「っていうのはどうでしょう」
良くない? これだったらなんか気楽になれるかなって。
そう思ったんだけど、なんかまた啓太の笑いのツボを無意識に押したのか、ちょっと笑われた。でも可笑しいと思われたとかじゃなくて、嬉しそうに笑って、なぜか「柘玖志はすげぇな」って褒められた。
褒められるのは啓太の方じゃん。練習久しぶりなのに、シュート決めてたし。脚大丈夫だったし。やっぱりすごかったし。
「ありがと。じゃあ……遠慮なく」
どうぞどうぞ、遠慮せずになんでもどうぞ。
「柘玖志としたいことがあるんだ」
「俺と?」
「あぁ、けど、それやるには場所、部屋ってわけにはいかないから、親もいるし。でも、ずっとしてみたかったから、やれたら嬉しいっていうか」
「うん。いいよ。何すんの?」
「……内緒。できるかわかんないから」
「?」
笑ってる。少し照れ臭そうに、気恥ずかしそうに笑ってる。
「そんじゃ、俺、あっちだから」
「うん」
手を振って、そして、啓太はあっちの方にあるうちへと歩いてく。
「……試験、頑張るよ」
「うん」
振り返るともっと大きく手を振ってくれた。そして頑張るって大きな声で言って、大きな、一歩を踏み出す。その背中は、足取りは久しぶりの練習でヘトヘトなはずなのに、なんだか少し軽やかに思えた。
「二人で、したいこと……」
なんだろう。俺としたいコト。部屋じゃ無理で、親がいるからとダメなコト。けど、ずっと――やりたかったコト。
「……」
やる場所を選ばないといけないコト。
「……?」
そして、俺と、したいコト。
「!」
そして、そして、ずっとしたいと思ってたコト……が一つ、頭にポワーンと浮かび上がって。
「はわー!」
黄色じゃなくて、変な声が思わずあがった。
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