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40 緊張しないおまじない

 部屋に花があるって初めてだ。  だからかな、気持ちがちょっと上がるっていうか、あれ、あれあれ、ルンルンって感じ。 「明日、本当に俺が入っちゃっていいの?」  窓のところに飾ってる。でっかい向日葵。 『大丈夫。家族二名までスタンドのとこに入ることができるから』  陸上部の引退から三日、まだまだ元気に太陽みたいに咲いております。 「え、でもさ。そしたら、啓太のお母さんも……」 『頑張れって言ってたよ』 「来ないの? 見たいんじゃないの」 『そう遠くない場所だし。自分で行くって言った』 「……けど」  ジュニアユースの時はいつも送迎してたって。すごく熱心に応援してたと思うんだ。一番のさ、サポーターだと思う。だから、怪我を乗り越えて、挑戦しようってする啓太のこと。 『特別強化選手枠の試験、受けたいって話した時、少しびっくりした感じだった』 「お母さん?」 『そう。今までとなんか違っててさ。たぶん……』  ほら、そんなの応援したいに決まってる。絶対に応援するでしょ。 『もう手助けいらないって思ったんだと思う』  送迎に車の中で食べる弁当の用意。啓太がサッカーに専念できるようにって周りに気を配り続けてたんじゃないかな。 『もう大丈夫って』 「……」 『そういうふうに変われたのは、さ…………柘玖志のおかげだ』  今日も啓太は練習があった。その練習後、肉離れ再発防止のためマッサージとかしてもらって、ちゃんと夕食食べてお風呂入ってちゃんと寝ないといけないから、会えてない。会ったのは、俺の引退になった大会が最後だ。それからはメッセージのやりとりと電話だけ。  電話なのに、無言になっちゃった。しばしの沈黙。  けど、窮屈じゃないし、戸惑ったりもしない。それから、見えるんだ。なんとなく。  電話越し、顔なんてちっとも見えないのに。今、啓太がどんな顔をしてるのかわかる気がする。  リモート的な通話の仕方もできるけどさ、恥かしいじゃん? 自分の顔にこれっぽっちも自信なんてない俺はその画面の向こうで見られてるとか、ちょっと恥ずかしすぎて無理だからさ。  顔見えてないけど、でも、やっぱ、見えるよ。 『それじゃ、おやすみ』 「あ、うん。おやすみ」 『また、明日』 「うん。明日、えっと」  赤くなって照れてる啓太も、明日のことに少し緊張しながら、でもなんかゆるーく微笑んでそうな、あのハンドフルートの話をしてる時の穏やかな表情も。 「……頑張って。めっちゃ、応援してる」  今、笑ったのも、ちゃんと見える。 『ありがとう』  きっと、今、この向日葵みたいに笑ってる。 「えーっと、緊張しないおまじないっ……って、王道なのだけじゃなくて、もっとこう、えっと」 「柘玖志!」 「はぎゃああ!」 「すげぇ声」 「お、お、おおおお、おはよう」  一緒にテスト会場まで行こうって、電車の時間も予め二人で調べておいた。駅前で待ち合わせしてさ。 「っぷ、すげ、柘玖志、顔が引きつってる」 「だ、だ、だ、だって」 「俺より緊張してんじゃん」  啓太がっ、全然っ、緊張しなさすぎなんだってば。 「よし、行こうぜ」 「は、はいっ」  だってさ、心臓が出ちゃいそうなんだ。今もうすでに出ちゃいそうで、改札をくぐるのがさ、なんか、よーいドン! のスタート地点みたいに見えてさ。  ここで、「だめです。ぴこんぴこん」って止められてしまわないようにしっかりパスケースを握りしめ、そして、心臓が出てっちゃわないように口をしっかり真一文字に結んで、一歩を踏み出した。 「アマリリスって十七回言うといいんだって。アマリリスの花言葉はおしゃべり、だから。しっかり話せるようになるって」 「スピーチの時の方がいいんじゃね? っていうか、なんで十七回?」  それは知りません。スマホさんが教えてくれただけなので。 「あと緑の物を探す」 「電車はえぇよ」 「確かに」  窓の外をピューンと過ぎていく木々を目で追ってたら目眩がしちゃいそう。 「あ、あと右手の親指を他の指で隠して強く握って、深呼吸」 「……こう?」  あ、なんか啓太日焼けしたね。 「あとは、えっと、鼻の下あたりを見るといいって。こう? かな」 「ッブ、それ、たぶん相手がいる時に話すのに緊張したらってことだろ」 「あ!」  俺は思いきり自分の鼻の下を見てた。 「今のですげぇ緊張ほぐれたわ」 「ぐっ」 「サンキューな」 「ど、どういたしまして」  め、めっちゃ笑われてるし。いいけど。それで緊張ほぐれたなら全然いいんだけど。っていうか、緊張してるのきっと俺の方だけど。  啓太はふわりと笑って、緑を追いかけるとかじゃなく、柔らかい視線を電車の外を流れる景色へ向けた。 「昨日、佐藤から電話があった」  佐藤、あの髪がサラサラなA組の可愛い子の名前、って知ってたけど、でも友達じゃないし、なんか、なんというか、俺的にライバルというか。 「サッカーまた始めてくれてよかったって」 「……」  あの子は、啓太のことが好きだって陸が言ってた。 「そう、柘玖志に伝えてくれってさ」 「ぇ……」 「柘玖志のおかげだって」 「……」 「急に話しかけて、びっくりさせたし、ごめんだってさ」  俺さ、けっこう気にしてたんだ。俺はモブで、あっちはイケてるグループでって。今でもその生息地は変わらないって思ってる。思ってるんだけどさ。 「一応伝えたけど……」 「啓太?」 「佐藤との連絡先の交換はなしな」 「っぷ、なんで」 「なんでもだよ」 「なんでだよー。いいじゃんか」 「ダメに決まってんだろ」 「なんでー」  二人で笑った。週末の朝の電車はどこかほわほわした空気が漂ってて、まだ夏ド級の日差しほどの強さのない、朝の光が差し込んでて。 「啓太、口がへの字」  その朝の光にさっきまであった緊張もほわほわに崩れていった。

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