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50 雲の上

 不思議な感じだ。  学校もどこか皆授業そっちのけって感じで、ふわふわしている気がした。 「え……すごくない? A組の市井君でしょ?」 「そうそう」 「すっご! 有名人じゃん。サインもらえるかなぁ」  あっちこっちから聞こえてくるのは啓太の話。でも、啓太から直接聞いたわけじゃないから、かな。なんか嘘っていうか、俺の知ってる啓太の話じゃないっていうか。現実味がなくて、聞いてても、すごいとか思えなかった。  だって、ほら、やっぱりまだ連絡ないし。 「すげぇよなぁ」 「へ?」 「市井」 「……」  昼休みになっても啓太からの連絡はなくて、皆の会話を聞く限りじゃ学校にもまだ来てないっぽい。 「雲の上の人って感じじゃん?』 「……」 「今頃、インタビューとか受けてんのかなぁ」 「さぁ……どうだろ」 「テレビとか出るんだろうなぁ」 「……」 「あの青いユニフォーム着ちゃうんだろ? あー、サッカーなんてよくわかんねぇけど」  あのユニフォームを着た啓太……か。うちの高校のユニフォームは赤だからまるで反対だ。それもあって青いユニフォームの啓太なんて想像すらできない。 「俺、ちょっと、トイレ行ってくる」 「おー」  そして、立ち上がりながらもう一回スマホを見ても啓太からの連絡はなかった。 「……」  けど、既読は付いてる。だから読んではくれたんだ。それでも返信する時間もない、ってことなのかな。本当にインタビューとかテレビとかそういうので忙しいのかな。 「あの、白石君?」 「! ……ぁ、え……と、佐藤……さん」  名前を呼ばれてハッと顔を上げるとちょうどA組のところだった。振り返ると、そこには髪サラサラ女子の佐藤さんが立っていた。その背後にある全開になってる扉からは「市井君」って何度も聞こえてくる。教室ではやっぱり啓太のことで話題は持ちきり、だよな。俺らよりもずっと身近だっただろうから。なにせクラスメイトがサッカーの代表とかになっちゃうんだもん。 「びっくりしたね」 「あー、うん」 「あの、市井君から連絡あった?」 「え? あ、いや……ない、けど」 「そっか」  彼女にも連絡はなかった。クラスの担任に、朝のホームルームで市井は急用で今日は欠席だって話があっただけらしい。サッカーの代表云々は同じクラスのサッカー部の人が、監督から聞いたんだって。朝、通りすがりに、監督から啓太のことを聞いたって。その代表の何かスタッフ? 監督? わかんないけど、電話があって、全国大会の予選のスケジュールとかを訊かれたらしい。そんで、啓太はその大会には出られないかもしれないって。  それから、今日も全国大会に向けて練習があるからって。  多分、啓太は参加できないかもしれないけれど……って。 「そっか……白石君のところにも連絡ないんだ」 「うん」  佐藤さん、告白したんだ。啓太に。 「あ、あの、もしも、何か連絡あったら、教えてもらったり、してもいい?」 「え、あ、うん」 「ありがとう」 「……ううん」  そこで彼女は小さく溜め息をついて、俯いた。俯くとサラサラな髪が揺れて、絹糸みたいだ。肩から滑り落ちる感じ。 「なんか、本当、雲の上の人って感じ」 「ぇ……」 「一般人の私なんかは……もう……」 「……」  そう小さく呟いて、佐藤さんが廊下の窓から空を見上げた。  つられて俺もそっちへ視線を向ける。 「外、暑そ……だね」  確かに暑そう。そして、そのせいかな。空がこの前の引退にならなかった優勝決定戦の時にスマホで撮った濃い、ものすごく鮮やかな嘘みたいな空の色をしてた。 「ふぅ……」  一日中、啓太の話題だったなぁ……学校。  なんかアンダー二十一の試合の日程とか調べてる人もいたっけ。チケット取れるのかな、とか、学校で応援しに行くのかな、とかさ。  そういうのが聞こえるたびに気になって耳を傾けたり、いやいや、別にまだ噂なんだしって気にしないフリをする自分もいたりしてさ。 「……」  そんな一日だったから疲れてしまった。そのもうすでに有名人化が進んでいる啓太の話を聞きながら、どこかずっとふわふわでさ。  そしてまた溜め息をつきながら、足元の砂利を蹴った時。 「!」  ポケットの中でずっと握っていたスマホがついに振動した。慌てて、急いで、それを取り出して画面を見ると、啓太ので、そんで、ちょっと、いや、けっこう、ものすごくドキドキしながら通話のボタンを押す。 「もしもし?」 『やっと電話できる時間があった。ごめん。連絡、できなくて。朝からずっとバタバタでさ』 「啓太? あ、あの。サッカーの」 『……もう聞いたのか?』 「あ、うん」  啓太の声だ。正真正銘、啓太の、俺よりも低い声。 『サッカーのさ……』  俺はサッカーなんて本当によく知らなくて、アンダー二十一っていうのもどこか「はぁ」って感じでさ。  啓太はそれに召集されたんだって。同じポジションの人が怪我をして、その怪我が結構しんどくて、代表入は断念せざるを得ないとかで、代わりの候補に上がったのが啓太だった。  その話があったのが今朝。  そんでそこから面談みたいなのをしたり、身体測定があったり、説明があったり。色々、たくさんあって、ようやく今、少し時間ができたんだって。 「え、なんかすごくない?」 『いや、まだ候補だし。それに他の候補の方がすげぇよ。プロで試合でてる人もいるし。多分、高校生でっていうの俺だけだ』 「え、そうなの?」 『ほとんどユース。部活でサッカーっていうのは、そもそも珍しいからさ』 「けど、啓太はサッカーすごいよ」 『……』 「本当に」  啓太、今、どこにいるんだろ。ものすごい静か。 『ありがとう』 「え? な、何が?」 『柘玖志のおかげだ』 「俺? 俺は、何も」 『柘玖志がサッカー好きなんだろって言ってくれたからさ』 「……」 『もう一回、サッカー選手になるって目標を持てた』  俺は何もしてない。 『明日は練習に参加できるらしい』 「そうなんだ」 『あぁ、あ、わりぃ、またこれから戦術とかの説明があるんだ』  俺はサッカーなんてよくわかってなくて、オフサイドだってこの前覚えたばっかりで。だから戦術なんてチンプンカンプンだ。 「そっか。頑張って」 『おお』  ―― すっご! 有名人じゃん。サインもらえるかなぁ。 『また連絡する』 「うん」  そこで誰かが啓太がいるんだろう部屋に入ってきたのがわかった。きっと、一人になれた時間に慌てて電話してきてくれたんだ。 「……はぁ」  そして見上げた空はもうすっかり更けて、夜の空の色に変わっていた。たくさんの星が瞬いていて、それはそれはキラキラで、けど、手を伸ばしても触れるわけがないくらいの高い、高い空だった。

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