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52 世界を駆け抜ける彼氏がいます。
「えー、今読んでもらった英文なんだかー……」
苦手な英語の授業を聞きながら、ふと、窓の外に視線を向けた。秋ですな、なんて思いながら。全然、朝、自転車で汗だくになったけど。
今日は練習の後、勉強をみてもらうって言ってたっけ。英語もあるって言ってた。国際大会とかに出たら、必ず必要になるから、他の数学とかよりも時間多めなんだって。
国際大会とか、出ちゃう……のね。なんかすごいよね。
って、それを聞きながら思ってた。
すごいよ。本当に。
必要なんだって、少し眠いけど頑張らないとって言ってた。将来のためにさ、必要なものがもうわかってて、それに向けて努力してる。
俺は……まず、その将来がさ……まだわからないっていうか。
「……」
啓太は今、今度あるおっきな大会の予選最終戦に向けて、一週間の強化合宿に行ってる。相部屋だから、一人の時間がなくて電話できるのはその相方さんがいない時間だけ。
っていうか、相方はきっと俺でしょ。
彼氏さんの俺が相方さんでしょ……なんてね。
「はい。じゃあ授業終わりなー」
チャイムが鳴ったと同時に皆が疲れたと溜め息をそこらじゅうに落っことす。
「あ、見てみて、市井君のことがまたサッカーのサイトに書いてある」
「本当だー。めっちゃかっこいい、この写真」
「やっば」
啓太が代表のチームの練習に収集された日から、学校中、啓太の話題で持ちきりだ。
って、そりゃそうだ。こんな身近なところに「世界」がどーのこーのなんて話題になる有名人がいるんだからさ。
トイレに行こうと席を立つと本当にあっちこっちから啓太の名前が聞こえてくる。その中でも一番よく耳にすることのあるA組の前を通りかかった時だった。
「白石君」
「あ、佐藤さん」
モテグループのお姫様って感じの佐藤さんが、そのA組の扉からひょこって顔を出した。そして、ぴょこって廊下に出てきた。一個一個の仕草が可愛いんだ。ホント、少女漫画の登場人物みたい。
「すごいね。市井君のこと」
「あー、うん」
「うちのクラス、毎日、市井君の話題で持ちきりだよ」
「うちのクラスもそんな感じ」
「そっか」
啓太のこと、そうだ、教えてって……。でも、俺に? だって、俺ってさ、別に。
「あ、の……今日は啓太もサッカーのとこで勉強会があるって言ってた」
「え、そうなの? サッカーばっかりしてるんじゃないんだ」
「違うらしいよ」
サッカーの練習を丸一日してることってあんまりないらしい。そんなに練習過多にしたら怪我が増えるだけだからって、部活のサッカーとはそういうところが違ってるって教えてもらった。だから半日練習して、もう半日はミーティングだったり、勉強会だったりするらしい。
「元気そう?」
「あ、うん。楽しそうだった」
「そっか」
本当に……好き……だったんだろうなって、思う。啓太のこと。
だって佐藤さんは啓太のことをすごいすごいすごーいってちやほやした感じで話さないから。すごいとは思ってるんだろうけど、そういうことじゃなくて、すごいっていう意味がさ、他の人と違ってる。
「あ、そうだ! 白石君ってピアノ弾けるんだね」
「ぇ? あ、ぅ……ん」
「知らなかった。合唱コンクールの時とかずっと他の子が弾いてたでしょ?」
「あー、うん、女子でピアノできる子がいたからさ」
クラスに必ずピアノが弾ける女子が一人か二人いた。だから、俺は、そっと静かに歌う側に立ってた。
「そうなの? 弾けばいいのに、男子でピアノ、なんて素敵だからもったいないよ」
「いやいや、もう小学生の時に辞めちゃってるから。ブランクものすごいよ。指が動かない」
「えー、でも男子って指が長いでしょ? 羨ましい。力強く弾けるし、スタンスたくさん取れるし。それに」
彼女はとても綺麗な子だと思う。こんなに綺麗なんだから、もうちょっと性格が歪んでるとかさ、私が一番なのよ! みたいな鼻たーかだかな感じとかもあるかなって。
それにイケてるグループ所属だから、そんな平々凡々グループ所属の俺とは話したり、とかしない人って。
「それに男子でピアノ弾けるのってかっこいい」
そう思ってた。
「あ、ごめんね。用事があるからここ通ったんだよね。それじゃあね」
「あ! あのっ、佐藤さんなんで、俺がピアノっ」
パタパタとサンダルを鳴らして教室に戻ろうとする彼女が、引き止められて振り返ると、あの見事なサラサラ髪がシャンプーの広告みたいにふわりと広がった。
「だって、市井君がすごく嬉しそうに話してくれたよ?」
「……」
「放課後、音楽室で白石君にピアノを弾いてもらってるんだって」
嬉しそうにってさ。
あの時、かな。付き合うとかのずっとずっと前のこと。俺はこの目の前にいる彼女にピアノを頼めばいいじゃんって思ってさ。ダークバージョンの俺が出てきてひねくれたことを言ったんだ。それですれ違っちゃった時の。
「他にも色々、白石君のことは珍しくたくさん話すんだよ。だから、わかってたんだけどね。言ってもって……」
「え?」
「ううんっ、なんでもない。あのね、すっごくかっこいいって言ってたよ。綺麗なんだって。私も見てみたいなぁって思っちゃうくらいに、たくさん、話してた。だから、サッカーのこと、白石君の相談したの」
彼女が首を横に振って、サラサラな髪も横に揺れて、ユラユラって。
「あとね。ピアノを弾いてる時白石君はすごく楽しそうって言ってた」
「……」
「市井君が言うには、白石君のほうがよっぽど音が踊ってるみたいだって」
それは、まるでファンタジー。あの夏の青い空の下で見た映画みたいなワンシーン。
「きっとすごく楽しそうなんだろうなぁって思ったの。ほら、ピアノのレッスンってすっごく厳しいじゃない? だからっていうのもある、かな。いやいややる子もいたりするし、ピアノ好きじゃなくなっちゃう子もいるのに、白石君はそうじゃないから。市井君の気持ちがわかるのかもって思ったの」
「……」
「白石君に相談してよかった」
話してみたら、めちゃくちゃ良い人だった。話しかけやすくて、スキップしながらモテグループの境界線を飛び越えてしまう感じで。
「なぁに浮気してんだ」
「うわああぁぁぁ! ちょっ! 陸!」
「お前には世界を駆け抜ける彼……フゴっ、ブゴッ」
「シイイイイイ!」
何を廊下で言い出してんだ。でっかい爆弾落っことすなよ。啓太は今、超有名人なんだってば。
「違うっつうの! ただ、普通に俺はっ」
そう普通に話してた。
「佐藤さんと話してただけ」
普通に。
俺が思ってたほどさ、あの境界線は太くないし、濃くないし、すごくすごーくうっすらで、目にはあまり見えないくらい、俺の気のせいってくらい……なのかもしれないと、思った。
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