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53 平々凡々人間

 すごく好きなものが好きじゃなくなっちゃう時がある。  楽しいからやりたいと思ってたのに、それがいつしか強制的になっちゃって、そしたらなんか「楽しい」が消えてしまう時が。  やりたい、が、やらないといけない、に変わって、キラキラワクワク、カラフルだったものが急にモノトーンになるような感じ。  ―― いやいややる子もいたりするし、ピアノ好きじゃなくなっちゃう子もいるのに、白石君はそうじゃないから。  俺が、ピアノを辞めたのは……。 『あぁ、話したよ』 「佐藤さんに? 俺がピアノ弾いてること?」 『あぁ」  すごくすごく楽しそうに? なんかさ、俺の少女漫画で培ってきた乙女心読解術がさ、心の中で教えてくれるんだけどさ、あれは、俺と啓太のことわかってるっぽかったよ? その、好き同士と言いますか。交際してるでしょみたいなのと言いますか。 『っていうか、仲いいの?』 「え?」 『佐藤と』  それなのに啓太はそんなのわかりもしないで、何がやきもちめいたこと言ってるしさ。 「啓太のこと訊かれただけ。それとピアノのこと」 『……』 「無言にならないでってば」  ないですから。あのね、あーんな可愛い子が、啓太を好きになっちゃうってことは啓太みたいなイケメンが好きっていう子が、この平々凡々を好きになるわけがなかろうって笑えるレベル。お腹でヤカンの水を沸かしちゃうくらいにはありえない。 「啓太のこと本当に応援してたよ。佐藤さん」 『……』 「あの、さ……」  啓太がサッカーを怖かったり、嫌になっちゃったりしてたから、今、こうしてチャレンジしている事にすごく嬉しそうにしてた。 「俺、ピアノ弾いて時、そんな楽しそう、だった?」 『あぁ、楽しそうだった』 「そんなに?」 『あぁ、柘玖志が言ってただろ? 音が踊ってるみたいだって、俺のハンドフルートを見て』  それはまるで。 『あれ、俺からしてみたら、柘玖志のことだ』  指先が鍵盤に触れると、弾けるように生まれる音達。  ポロン。  ポロン。  指先から生まれて溢れてその部屋中に広がり、踊り始める音に嬉しそうに笑ってる。  それはまるでファンタジーなミュージカル映画みたい。 『あんなふうに何かを楽しめるのは、何よりも才能だと思う』 「そんな……」 『本当にそう思う。柘玖志を見てて思い出した。最初、夢中になってボールを追っかけてた頃を』  才能なんてないよ。マラソンは頑張ってたけど、でも頭脳明晰運動神経抜群容姿端麗、こんなに漢字長いぞ選手権優勝レベルになんて到底届かない平々凡々人間。 『俺は、ピアノを弾いてる柘玖志の横顔、好きだよ』 「!」  急に、耳元でダイレクトに告白しないでくださいな。 「俺……も…………って! っていうか、勉強会どうだった?」  なんかダイレクトに心臓に届いちゃうので。急な不整脈に襲われますから。ほら、思わず、枕をギュッと抱っこしちゃったじゃん。 『あー、しんどかった。英語が』 「マジで? 啓太、英語もすごいのに? その啓太でしんどいって俺だったら」 『でも、楽しいよ』  もっと枕をギュッと抱きしめた。 『今はなんでも楽しい。そっちは? オオカミ君、続き出た?』 「まさか、そんなすぐに出ないって」 『そうなんだ』  こっちはさ、啓太のことで持ちきりだよ。皆が啓太のことすごいって噂してる。学校中が話題にする今や時の人だ。 『また柘玖志の部屋で漫画読みたい』 「ホント? 俺セレクション作っとく?」 『あぁ』  その時の人が電話の向こうでクスって笑ってる。  雲の上の人、時の人、すごい有名人……になったのに、電話の向こうにいる啓太はいつもの、俺の隣にいる啓太だ。いらないのに、俺なんかにヤキモチとかしたりする、少女漫画を結構面白いって言ったりする、そして俺のことをすぐにくすぐったくする啓太。 『またピアノとのセッションしたい』 「したいこといっぱいじゃん」 『あぁ』 「俺は暇人ですから、いつでも待ってますよ」 『……会いたい』 「……うん」  本当に、待ってる。ここからさ、遥か遠くで活躍する君を。 「もうちょっとじゃん」 『あぁ、終わったら、さ』 「うん』 『……いやなんでもない』 「? なんだよ、気になる」 『……いやそっちに帰ったら、その、二人っきりになりたいなって』 「……」  二人っきりって、いうのは、つまり――。 『だから、なんでもないって言ったろ。柘玖志と二人で一緒にいられたらなんだって嬉しいよ。って、わり、相部屋の人帰ってきたから、切る』 「あ、うん」 『おやすみ』  おやすみなさい。そう聞こえたのかどうか、電話は慌てて切られちゃった。 「……はぁ」  ベッドに倒れ込んで、啓太からの電話がかかってくるまで読んでいたオオカミ君の続きを手に取った。 「なんでもなくないよ」  さっきまで隣にいるみたいだったのに。 「俺だって会いたいですよ……」  今はいないなぁなんて、ちょっとセンチメンタルになって枕をぎゅっと抱きしめたり、してみた。

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