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55 マイシンデレラボーイ

 すごかったんだ。  ピッチをさものすごい速さで駆け抜けて、本当に、本物の魔法使いみたいにボールが啓太の手前をコロコロ転がる。慶太のドリブルは本当にすごいって解説の人も言ってた。あと初速がすごいんだって。もうそのスタートでデフェンダーは半歩分遅れる。たったの半歩と思われるかもだけど、その半歩が効いてくるし、ディフェンダーは進路の阻止どころか追いつくのに必死になるしかなくて、簡単にかわせる……だそうです。  そして、そのドリブルでピッチから出ちゃいますから! っていうギリギリまでいって、そこからの、パス。  啓太のパスから中で待ち受けていた人がシュートを打ったんだ。  けど、それはディフェンダーにパスコースを塞がれて、弾かれた。 「あぁ……」って頭を抱えそうになるじゃん? 一点決まらなかったー! ってさ。  でもさ、そこで、本当に颯爽と現れたんだ。  ディフェンダーが弾いたボールの転がった先に啓太がいて、そんで、足を一振り。  あとはスポーツ漫画みたいにボールがネットに突き刺さった。  思わず声出ちゃっった。  下のリビングでは家族が大きな声で叫んでた。  陸がいうには体育館もすごいことになってたんだって。メガホンがうるさくて、鼓膜が破れるかと思ったって。  本当にすごかったんだ。  啓太が試合で一点決めた。 「はぁ、はぁ、はぁ」  自転車めっちゃ漕いだ。  ――今日の夕方、四時ちょうどに着く電車。それでそっちに帰る。  そういう連絡が啓太から来たのが三時すぎ、四時近くでさ、慌てて自転車に飛び乗ったんだ。もう、出迎えギリギリじゃん。  けど、きっと忙しかったんだと思う。  ヒーローインタビュー受けてたし。  本当のヒーローだよ。  怪我して、もうサッカーは辞めようって思って、けど、そこからやっぱりって踏ん張って頑張って、代表だなんて。  だからそんなヒーローはものすごく忙しかったんだ。  汗の滴をポタポタって短い髪の先っちょから滴り落ちてたし。  試合の後もミーティングだったり、インタビューだったり色々あったんじゃないのかな。 「はぁっ、はあっ!」  一番に「おかえり」って言いたいんだ。啓太にさ。 「……ぇ?」  啓太に笑って「ただいま」って言って。 「何、この人だかり」  言って欲しかったんだ。  けど駅は人で溢れ返っていた。  こんなに人が多いのを見たのなんて花火大会以来なんじゃないかな。  そのくらいたくさんの人が駅に殺到していた。  そして、啓太が駅に着くよって教えてくれた時間ちょうどくらいに、ものすごい黄色い悲鳴が駅にこだまする。 「……啓……」  この人たち、全員、啓太を待ってたんだ。帰ってくるのを待ってた。 「……た」  そして、その歓声が一際大きくなったと思った時、啓太が現れたのがちらりと見えた。背の低い女子のおかげで、人だかりの隙間から啓太が確かに見えた。 「……」  けど、人が凄すぎてさ。  前に、似たようなことがあったっけ。期末試験が終わって、廊下はその試験終わったーっていう開放感に喜ぶ皆で溢れ返ってて。それでも、啓太が遥か遠く、A組からこっちを見て「テストどうだった?」って聞いてくれた。俺と啓太はまるで運命の、あの色の糸で結ばれてるかのようにピーッと一本線で視線がぶつかって、俺はコクンって頷いた。テストできたよって。  でも――。  今は無理そうだった。  人がすごすぎて、運命の糸は細すぎて、あの人の合間をすり抜けてピーって繋がってくれそうにない。  シンデレラボーイって、言われてたっけ。 「……」  なんか本当に雲の上の人だ。モテグループとかイケメン村の住人とかじゃなくて、もっとすごいすごいすごいすごい、上。雲の上の人。  あまりに高くて、遥か遠くすぎて、目も合わなければ、無言で内緒の会話をすることもできないくらいにたくさんの人が啓太に集まって、俺はちっとも届かない。  俺の手も、声も、視線も、啓太のところまで辿り着けない。 「はぁ……」  すごかったな。  あんなふうになっちゃうんだ。日本代表のあの青いユニフォームを着た人はあんなふうにすごいことになっちゃうんだ。これでもっと試合に出ちゃったら。 「……」  そう思いながら、自分のベッドでゴロンと寝返りを打ち、真っ暗な部屋の中で天井に向けて手をかざす。高いところにいる啓太には届かなかった手を。  ぬりかべになってる少女漫画を綺麗に積んでったら、どうにかこうにか遥か高くにいる啓太の足にちょこんとでも触れられないかな。  この手をさ。 「!」  そう手を伸ばした時だった。枕元に置いていたスマホがブブブって音を立てて、起き上がると。 「わっ!」  啓太だった。メッセージが来た。  ――もう寝てる、よな。  だから速攻で返信した。起きてるって。そしたら。  ――起きてる!  ――あのさ、今、柘玖志んちの前。 「え?」  スタンプも何もない短い会話。  俺は慌てて、階段駆け下りて、ビーサンを指の間に突っかけて、玄関飛び出した。 「啓太!」  時間はちょうど十二時を回ったばかり。 「……ただいま」  それはシンデレラの魔法が解ける時間。 「……おかえり」  魔法が解けて、そんで、俺の知ってる。口下手で、そんで、クシャって笑う、いつもの、俺の隣にいる、普通の啓太が。 「おかえりっ」  ここにいた。

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