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56 ただいま

 まさか駅降りてあんな状況になってるなんて思いもしなかったって笑ってた。一瞬で取り囲まれて、そのままサイン攻めとツーショット写真を頼まれたと思ったら、あれよあれよと連れられて、親戚のうちへ。  活躍を称える祝賀会が開かれていて、今の今まで捕まってたんだって。  ビーサンだと素足がちょっと肌寒い夜道、啓太のうちへと向かいながら、大変だった今日一日の話を聞いていた。 「試合見てたよ」 「ありがと」 「学校でライブビューイングもあったんだ」 「聞いた。マジかって、ビビった」  学校行ったらすごいことになるんじゃない? もうそれでなくても啓太が日本代表の練習に招集されてからずっと啓太の話を聞かない日なんてなかったんだから。そう話すと一瞬すごい顔をした。マジか? って、今度はちょっと青ざめた、かも。でも夜道で薄暗いからあんまり見えないけど、眉がギュって眉間にしわを寄せたのは見えた。皆が啓太のことを噂してたけど、佐藤さんは少し違ってた。なんか柔らかぁく見守ってる感じ。そう話すと今度は明らかに渋い顔をしてた。だからさ、何もないってば。佐藤さんは啓太と違って、好みヘンテコじゃないから。俺なんてちっともタイプじゃないから。そう笑うと、もっと険しい顔をして、なんだよそれって。啓太の好み、つまり俺はヘンテコなんかじゃないって、当人の俺にブーイングしてる。 「もうめちゃくちゃ有名人」 「そんなんじゃねぇよ」  啓太は知らないだけだ。もう町内で啓太のこと見守ってない人いないから。この辺の人は皆、あの試合に感喜してたから。 「あ、あと、うちの家族もリビングですっごい応援してた」 「マジで? ありがと。めっちゃ嬉しい。柘玖志もそこで一緒に観てくれてたのか?」 「ううん」  ペタペタ、秋の夜道に夏の音をさせながら公園に辿り着いた。この公園を突っ切らないと、結構時間がかかるのに、このまま森を抜けて草原、っていうか原っぱを抜けて、小さな池の横を通って、また森を抜けると、啓太のうちにも駅にも早く辿り着ける。まるでワープでもしたみたいに。 「俺は一人で部屋で観てたよ。頑張れーって心の中で何度も呟きながら」 「……」 「心臓飛び出しちゃいそうでさ。すっごい緊張してたから」  何度もここでハンドフルートの練習してたけど、最近はそれもできないくらいに啓太は忙しくて、少しだけさ……応援してたよ? めっちゃ応援してた。けど、やっぱ……少しだけ寂しいなぁとも思ったりして。 「ゴール決めた瞬間なんて、すっごい変な声出たし」 「……」 「少し、泣きそうだった」  サッカーから離れてしまうところだった君が見せてくれた楽しそうな、生き生きとした顔を見たら、なんかさ、訳もわからず泣いてしまいそうだった。 「柘玖志」 「んー?」 「あの、さ……今から、その、うちに来ないか?」 「……ぇ?」  啓太がそっと手に触れる。大きくて、あったかくて優しい手。 「その……もっと、一緒にいたい」 「……」  触れてようやく本物なんだって実感できた気がした。 「今日は祝賀会でさ、うちの親も妹も、親戚んちに泊まってる、から」 「……」 「だから」  その手が少しだけ強く俺の手を握った。 「一緒に、いたい」 「……」 「柘玖志にすげぇ、会いたかった」  だから、俺もギュって強く握った。 「うん」  だって、俺も会いたくて仕方なかったから。 「上がって」 「あ、うん。お邪魔……します」  啓太のうちはシーンと静まり返ってた。  本当に、お母さん達も妹さんもいないんだ。祝賀会、だもんね。廊下で少し待たされて、キッチンからペットボトルのお茶を持ってきた啓太と一緒に二階の部屋に向かった。  きっと、この部屋だって、ずっと練習でいなかったんだろう。 「お母さん達、すごい嬉しかったんじゃない?」 「まぁな」 「あ、そうだ。ヒーローインタビュー観た! めっちゃカッコ良かった!」 「そうか? 鼻息やばくなかった?」 「全然っ、それと、スポーツニュースとかでも啓太の練習風景とか見てたよ」 「柘玖志」 「かっこよかった。そんで、そのスポーツニュースでも啓太のことをたくさん話しててさ、シンデレラ……」 「柘玖志」  ギュって抱き締められて、ギュって、心臓が跳ねた。 「……会いたかった」 「お、俺も……」  心臓跳ねたけど、でも、そのままその心臓が飛び出ないように啓太の広い背中に抱き付いて、ギュウウって押さえた。 「啓……」  名前を呼ぶ声が途切れたのは、見上げたタイミングでキスしたから。啓太が首を傾げて、最初は触れるだけのキス。それから何度か啄まれて、今度はもうすこし深いキス。舌がちょっとだけ触れ合う感じの、甘いキス。 「啓太」 「……」  俺を抱き締めてくれる腕がもっと力を込めて、離さないってしてるみたいでさ。 「あ、あの、俺、今日こんなふうに二人っきりにはなれないって思ってたから、その……準備してないんだ。えっと」  おかえりって出迎えるつもりではいたけど、町中が啓太っていうヒーローに浮かれてたからさ、会えても誰かしらが一緒かもって思ったんだ。お母さんとか、お父さんとか、妹さんとか。けど、想像はその遥か上を行く感じだったから。 「……え?」  今、なんて言った? って、怪訝な顔をしたのは啓太。 「えっ! あっ! ごめっ! 違っ、なんでもない! えっと」  しまった! って、慌てて前言撤回をしたいと真っ赤になったのは俺。 「柘玖志、いいの?」 「……」 「その、帰ってきてすぐにそういうのしたがるってどうなんだって思って我慢したんだけど」 「えっと……」  恥ずかしい、けど。 「帰ってきた啓太とすぐにそういうことすると勘違いしちゃった俺は、どうなっちゃうんだよ。めっちゃ恥ずかしい」 「どうって……そんなの」  けど、もっとギュってしたいと思ったんだ。 「可愛いに決まってるだろ」  二人ともそう思って、そんで、次にしたキスは舌がちょっとやらしく絡み合う、やらしい感じの音が部屋に響く、そんなキスだった。

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