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59 俺にもある

 音がさ、踊ってるみたいって思ったんだ。  たまにあるんだよ。音楽は音が楽しいって書くんだ。だから――。 「ピアノ、かぁ……」  今、啓太はシャワーを浴びに行ってて、俺は部屋に一人ぼっち。お父さんお母さん、あと妹は親戚のうちって言ってたから、二人っきりで、そんで今は一人っきり。  自分の零した独り言がその留守番中の啓太の部屋の中では結構大きく聞こえてびっくりした。  なんか声いっぱい出ちゃって恥ずかしかったな。俺、声我慢しなくていいからって言われるとあんなにたくさん声出しちゃうのね。イク時に本当に「イク」って言っちゃうのね。啓太の名前ばっかり呼んじゃうしさ。 「寝てていいのに」 「あ……啓太」  なんだか自分の声が掠れてる。そんだけたくさん声出しちゃった。 「柘玖志?」  すごいんですが声、とか思われなかったかな。本当はこんなに声って出ないものだったりするのかな。 「う、ううん、なんでもないっ」 「声……掠れてる。待ってろ。今、水持ってくる」 「だ、だ、大丈夫っ、まだ、さっきもらった水あるからっ、喉は痛くないからっ」  啓太が俺のおでこにキスをして、下のキッチンへ行こうとするから慌てて引き留めた。 「平気だよ。っていうか、声、が、そのたくさん出ちゃって、変じゃなかった?」 「なんで? 可愛かったけど」 「へ?」  そう、さらりと言って、今度は頬にキスをする。 「そ、そんなわけないじゃん。俺が」 「可愛いよ。そんで、いつも思ってたけど、柘玖志は柘玖志が思ってるほど地味でも平々凡々でもないよ」 「そ……」 「あんなぬりかべになるほど少女漫画持ってる奴なんてそういない」 「それは」 「あの練習量のわりに、マラソンだとうちの学校でずっと一位になれる奴もそういない」 「え? 練習量のわりにって」  それってちょっとだけ悪口が織り交ぜられてません? いや、そりゃそんなに練習熱心ではないですけれども。そう言ったら啓太が笑って、おでことおでこをくっつけた。 「それからさ」 「?」 「あんなにピアノを弾いてる姿が綺麗な奴、見たことない」 「……」  ―― いやいややる子もいたりするし、ピアノ好きじゃなくなっちゃう子もいるのに、白石君はそうじゃないから。 「だって、一目惚れしたんだぜ?」  ―― すっごくかっこいいって言ってたよ。綺麗なんだって。 「性別超えて、ずっと片想いしてたんだ」 「……」 「そのくらい綺麗だった」  楽しかった。ピアノ、すごく久しぶりに弾いたけど、すごく楽しくてさ。ワクワクした。踊りたくなっちゃうくらいにドキドキした。そのわりにブランクがあるもんだから、指が動かなくて動かなくて、指体操しちゃったくらい。 「それで平々凡々とか言うなよ」  そう囁いた啓太が今度キスをくれた場所は、俺の平々凡々な手で、ピアノを弾くことのできる大事な指だった。  まだ朝の六時。  もうこの時期のこの時間だとけっこう肌寒いんだね。  それからこの時間は犬の散歩してる人がけっこういるんだね。すれ違った何人かは啓太のことを知ってるかもしれない。これがさ、一緒に並んでる子が女子だったらちょっと宜しくなかったかもしれないけど、男子だからさ。誰もお付き合いしている彼氏の朝帰りを送っている最中とは思わない。  二人でゆっくり俺のうちへと歩きながら、いろんな話をした。  啓太にはまだ自覚が足りてないから、今現在の学校での啓太の認知度、人気度、それから噂すごいんですって言う現状を説明しては信じてもらえず笑われたり。 「相部屋の奴に、淡白そうって言われた」 「淡白?」 「そ、恋愛関係。だからそうでもねぇよって答えた。実際そんなことないしな」  そう? 啓太はいつも。 「だって、普通、こっち帰ってきてすぐ付き合ってる彼氏を部屋に連れ込んで朝帰りさせないだろ」 「!」 「ガオ」  あ、何それ。今の。すごい可愛いかったんですけど。 「柘玖志がカッコいいって言ってたオオカミ君みたいになりたいからな」 「っぷ」  笑っちゃうじゃん。 「笑うなよ」  笑うでしょ。 「あ、今度、招集かかることがあったら、何か漫画貸してくれよ」 「え? 俺の? 本当に?」 「あぁ、けっこう夜暇なんだよ。まぁ、しばらくは招集ないけど」  オオカミ君の続きも気になるし、その隣にあった漫画が気になってるんだってさ。確かにタイトルがちょっと興味引くよね、あれ。「この部屋にカーテンがつくまでに」ってさ。カーテンない部屋ってどういうこと? カーテンがつくまでに何すんの? みたいにさ。 「い、けど」 「サンキュー」  少女漫画はドキドキできて大好きだった。今もめっちゃ好きだし、次のオオカミ君の発売日は即買うつもり。 「また、そのうち、柘玖志のピアノとハンドフルートでセッションしたいな」 「……」 「あと一緒にピアノ演奏してみたい。俺がすげぇ、下手だけど」  地味で平凡で、何も取り柄っぽいのがないと思ってた。進路もどうしましょうって思ってた。 「いいよ」  やりたいこともないって、思ってた。 「いつかね」 「あぁ」 「いつか一緒にピアノやろうよ。俺が教えてあげる」  好きなこともないと思ってた。けど、好きなこと、あったんだ。  少女漫画好き、あと、ご飯ならハンバーグが好き、ジュースは林檎ジュースが好き、曜日は土曜が好き。それは昔っからだった。土曜はピアノのレッスンがあったから。 「……啓太」  ピアノ、好きだからさ。 「俺、今度、受ける大学変えようと思うんだ」 「……」  ピアノは好きだった。だってさ、すごくない? ただあの白と黒の鍵盤を押すだけでさ、音がするんだ。ポロンって鍵盤から零れ落ちるように綺麗な綺麗な音がする。右の鍵盤を押せば、高い音、左の鍵盤を押せば低い音。指で押すだけでできる魔法のようだった。魔法使いになれたような気がした。 「やりたいことがさ、あったんだ」  そして、手を、ゆっくり登っていく太陽に向けてかざした。指と指の隙間から見える朝日がとても眩しくて、キラキラしてて、なんだか自分の指が輝いているように見えた。

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