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60 挙手の指はピーンッてさせるとかっこいいよ
自分に才能があるなんて思ったことない。もちろん、今だって思ってない。きっとこれからもそんなこと思わないだろうけど。でもさ――。
「やりたいことがさ、あったんだ」
嫌々やったことはなかったから。
辞めてしまったのは、なんていうか、周りの目を気にしてっていうか、女子に混じって男子一人っていうのが恥ずかしかったから。でも、ピアノはやっぱり楽しくてさ。
「啓太はさ」
啓太はサッカーが上手いって褒めると必ず、そんなことない、もっと上手な奴がたくさんいるんだって前を見る。少し上の方、顎をあげて、目線高めに空を見上げるんだ。
「あんな足の甲にでっかい痣とかさ、作っちゃうのやじゃないの? 痛いじゃん」
「痛いし、練習しんどいし、嫌な気持ちになることだってあるけど」
サッカーの話をしている時の啓太の横顔が好きだなあって思う。真っ直ぐに前だけを見てる、あの集中している時の横顔。
「けど、好きなんだろうな」
「……」
「楽しいから」
俺は、ピアノ、好きなんだろうな。だって、弾いてる時、とても楽しいから。
「うん。俺も」
空が青色を濃くしてきた。寝ぼけてとても優しい色をしていた空がゆっくり、けどしっかりと登っていく太陽に「ほら、起きて」と急かされるように、青色を濃くしていく。
「俺もー!」
その空に向かって両手をぐーんって伸ばしてみた。
「あわわっ」
「ちょ、おい、柘玖志、あんまっ」
爪先立ちまでしてみたら、思いの外、腰の辺りがクンニャリしていて、よろけてしまった。それを慌てて啓太が腕で支えて、そんで、二人して至近距離で目がバチって合った。
「っぷ、あはははは」
「おま、笑い事じゃ、って、俺のせいか。ごめん」
「なんでよ」
「だって」
「愛って、とっても良い感じのことじゃん」
「あら、柘玖志? あんた、何、外行ってたの?」
「……ゲッ」
家まで送ってもらっていた。ほら、腰がさ、クンニャリだから、そうさせた本人が絶対に送るって言ったんだ。もう町内一の有名人だから、大丈夫かなって思ったんだけど、朝だからさ。犬の散歩中の人がほとんどだったし。
「お母さん!」
ここに一番見つかってはいけない人がいたっけ。
「おはようございます。あの」
「き……」
「すんません。ちょっと久しぶりにこっち戻ってこれたから、て言っても一週間ちょいっすけど、あの」
「き、き」
いいよ、そんな丁寧にしなくても。高校三年生男子にしては今までが地味すぎたけど、皆すること。
ほら、朝帰りっていうか夜遊びっていうかさ、まぁするじゃん? 夜の花火とか? 夜の公園で青春トークとか? 好きな人とかさ、勉強のこととか、部活のこととか、友達のこととか、大人になると大したことじゃないのかもしれないけど、今の俺らにはめちゃくちゃ一大事な悩み事をさ、一晩使って話して笑って、泣いて、そんでまた話してってするじゃん。
だから、そんなに丁寧になんて。
「色々話したくて、俺が呼び出したんす。すみま、」
「きゃああああああああああ! 市井選手よおおおおおおお!」
ね? そんなに恐縮しなくても、ご丁寧にしなくても大丈夫。
「あ、あのっ」
「たたたたた大変! おとおおおおさーん! 紬ー! 色紙をっ、色紙ヲッ」
言ったじゃん。前にさ。
「えっと、な、なぁ、柘玖志」
「頑張れ、啓太」
「ぇ?」
「うち、この前の試合、家族総出で応援してたっつったじゃん? 試合、録画済みだから、色々頑張って」
「……は?」
うちのお母さん、ミーハーだって。
「上がって! 市井選手、いえ! 啓太君! 上がって! お茶もお菓子も、朝ごはんも、それから色紙も」
「えっと……」
「上がりなよ。朝飯、平気なら食ってって」
そして、そんなご近所迷惑な町内一デカそうな黄色い悲鳴を上げたうちのお母さんに、半ば連れ込まれるかのように招かれた啓太は色紙と写真撮影のセット付きの朝食をご馳走されていた。
少しだけ。
「あ、じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
少しだけ、大変そうな横顔だった。
まずは手始めにって、感じかな。
「えーそれでは、今日は合唱コンクールのピアノ演奏者を決めるんだが、ピアノ、弾ける者はいるか?」
ずっと「どうぞどうぞ」ってしてた。俺よりも上手い人なんて溢れるほどいるし、男子で合唱コンのピアノ演奏やってる人を俺は少なくとも見たことなかったから。
「あ……の、はい」
手を挙げたことはなかった。
「俺、弾けます」
人生でこんなにドキドキした挙手は初めてだった。心臓が口から飛び出るかと思った。顔、あっつ。指先ってさ、ピーンッて伸ばす? それとも少しだけ曲げる? なんか、ピーンッてするのもさシチサン分けの学級院長っぽくない? 真面目キャラじゃない? でもでも、曲げるってしても、どう曲げる? ふんわり? いや、ギュッと曲げちゃったら、拳ドーンて突き上げちゃってる感じだから。もう少し、ふんわりと、ほんわりと?
「ピアノ、やり、ま、す」
けど、気持ち的にピーンッて感じかなって。ドキドキしすぎて、言うのがつっかえたけど。
でも、まずは手始めに、これをやってみようって思ったんだ。だから、指をピーンッてさせて、立候補した。
合唱コンクールのピアノ演奏っていう、大舞台に。
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