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啓太視点 ハッピークリスマス編 5 候
「ただいま」を二回言った君。
普段は俺の方が出かけている、外にいる機会が多いから、君は「おかえり」を言う方が断然多い。それでなくても代表に選ばれるようになってからは家を空けることが多くなってしまったから、ただいま、おかえりを数え切れないほど言えるほどには一緒にいられていない。
だからまだ少し照れ臭くて、少しくすぐったい「ただいま」を君が二回言って。
俺もくすぐったさを感じながら「おかえり」と告げた。
そして、少しクリスマス会の話をして、笑って、キスをして。
「あああああ! ミスった! もう一回! 啓太!」
「あぁ」
君がキュッと凛々しい顔をして、俺も知っている指体操を手短にまたやってみる。
「よし! じゃあ、もう一回!」
胸いっぱいに空気を吸い込んだ後、君の指先が鍵盤を弾いた。
君は俺のハンドフルート演奏を見て、音が踊っているようだったと話してくれたけれど、まるでファンタジーみたいだけれど、でも本当にそう見えたって一生懸命に話してくれたけれど。
俺は、実はその光景を見たことがあるんだ。
君は見たことのない景色。
なぜならその景色の真ん中で音を奏でてるのが君だから。
大きなグラウンドピアノ。でかい窓からふわりと風が舞い込んで、真っ白なカーテンがふわりふわりと揺れ踊る。柔らかな夕陽に照らされた君の指先が白と黒の鍵盤に触れる度、弾く度、小さな音、大きな音、楽しげな音に寂しげな音、色んな音が生まれて零れ落ちて、君の足元を音符の海にしていく、なんて言ったら君はきっと真っ赤になって「そんなことないない」って慌てるんだろう。
君はすぐに恥ずかしがるから。
でも、俺は何度も見たことがある。ほら、今だって。
「はぁ……楽しいっ」
目の前で君の指先から音が溢れた。
たまにしてるハンドフルートとピアノの合奏。
でもそれは最近のことで、一緒に暮らすようになって初めての部屋ではそんなのできなかった。普通のマンションだったから。
できるようになったのは婚約をしてから。
婚約をして、周囲の限られた人にそのことを伝え、そして新居を。新居を選ぶ時の最重要条件の一つ、それは一室だけでも完全防音の設備がしっかりしているところ。柘玖志はそんなことしなくていいってばと笑っていたけれど。自分はプロの演奏者でもなんでもないのだからって。
でも、俺が見たいんだ。
まるでファンタジーのようなそのシーンをさ。
そんな時の君はたまらなく嬉しそうに笑ってくれるから。
風呂上り、開脚でストレッチをしていた。筋肉が明日硬くならないように。オフだけど明日は朝走り込みをしてから、日本にいる間は使わせて貰ってるジムで軽くトレーニングをしておこうかなって。そんなことを考えていたら、柘玖志が風呂から上がった。
「はぁ、あの入浴剤めっちゃいい香りだった」
「ならよかった。柘玖志の好きそうな匂いだったから」
「うん。めっちゃほふほふする」
ほふほふ? ほわほわじゃなくて?
音楽家だからなのか、それとも柘玖志だからなのか、少し独特な擬音。
「足、痛そう」
「? あぁ、これ?」
ストレッチをしている最中だった。スネのところ、チラリと見えたひどい青痣に赤いすり傷。スネ当てをしていてこれだから、していなければもっとすごいことになる。でも試合を、しかも海外の選手とやり合えばこんなの日常茶飯事だ。海外組の代表選手はその所属クラブチームの練習でさえこのくらいの傷はしょっちゅうだと言っていた。相手は自分よりもデカくて、ナチュラルな筋力に雲泥の差があるわけだから、そのくらい当たり前のことで。
「湿布、貼る?」
「いや、平気」
「そ?」
声が心配そうだった。
痛いけどね。結構痛いけど、でも別に。
「本当は、痛い?」
「大丈夫」
「でもおおお! ……痛い」
「痛くない」
「本当に痛くない?」
君がそこに、俺の足の間に陣取ると、ストレッチができなくなるよ。
「痛くないよ」
「ストレッチは終わりました、でしょうか?」
「……」
終わってないよ。
「その、ですね。はるばる海外から、ようやくうちへ帰ってきて、そのお疲れのところとは思うのですが」
ストレッチはまだ。
「でも、今日、啓太が帰ってくるのを俺も結構楽しみにしておりまして、ですね」
「……」
「なので、できましたら」
まだだけど。
「少し、こう、あの、啓太が帰ってきたんだーって実感したく」
まるで「候」とか言い出しそうな少し風変わりな君の誘惑が可愛くて。
「しばし、ストレッチを中断なんてしてみないかなぁなんちゃって」
「……」
「思ってみたりしちゃったりして」
キスをした。開脚の邪魔をする君に体を前へ倒しながらキスをして。抱きかかえて膝の上に乗っけると、自分から誘ったくせに照れ臭そうにしてしまう。あのその言いながら、そうだそうだ、こんな重い俺が膝の上になんて乗ったら、さっきの青痣に響くかもしれないと慌ててしまうから。
「俺も、柘玖志にようやく触れられたって実感したく」
「……っ」
捕まえてキスをした。
まるで「候」が付きそうな風変わりな誘い方で、君を抱きかかえたまま二人で選んだ、もしも君が寝ぼけて転がり落ちても安心な、寝相がたまにものすごいことになるキミに俺が蹴られて落っこちても大丈夫なローベッドに寝転がった。
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