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雪虫 23

「   わかんないです、でも  大神さんが、雪虫を、そう言う風に扱うなら……」  雪虫が腕の中に居てくれると、言うのなら…… 「……オレが連れて逃げたい」  正直、あの稼業の人間に追い込みをかけられて逃げ切る自信なんかない。  大神は絶対容赦なんかしないだろう。  それでも  オレは、雪虫を…… 「君、この家が幾らか知ってるかい?」 「は ?」 「今日の夕飯の材料費は?」 「 ぇ   」 「水道光熱費、各種税金、医療費、通信費、保険費、通信費、  あと何があるかな?」  瀬能は数える指を止めた。 「いっぱいあるね」 「何を 」 「ぼくが言うのもアレだけど、バース関係の医療費とかって金額すごいよ?」  いつもと違う穏やかな表情なのに、対面で座っているオレは汗でぐっしょりだった。 「このオママゴトみたいな生活に、幾らかかってるか知ってる?」  テーブルの上をトン  と叩かれて体が跳ねた。 「君が連れて逃げて、今の生活水準を維持できるんだね?」  トントントンと指先がリズムを刻む。 「君はもう少し、世の中を知ってる子だと思っていたけどね」  段々と大きくなっているような気がする音が、こちらを責めているようで、奥歯を噛み締めて唇をひき結んだ。  笑顔でこちらを見下ろす瀬能の言葉は至極真っ当で、オレ一人だったり雪虫自身の体が丈夫であれば、手を取って逃げることもできるだろうけれど、実際オレは何も持っていない子どもでしかない。 「   」  大神達から逃げながら、安定した就職なんてできないだろうし、雪虫はそんな不安定な生活に耐えられないだろう。  各箇所に監視カメラが付いているここから、もしうまく逃げ出せたとして、また雪虫が熱を出したら?オレに何かあったら?  安易にどうにかなると言ってしまえるほど、生活が楽ではないのは、両親に散々迷惑をかけられてわかっている。 「   すみません、聞かなかったことにしてください」  頭が冷静になったわけじゃない。  雪虫を諦めたわけでもない。  ただ、突っ走っても雪虫を危険に晒すだけだとわかったから…… 「まぁいきなり連れて逃げなかっただけお利口だよ」 「   」  額面通りの言葉でないことだけはわかる。  口を開けず、俯くオレの頭を掌が撫でた。 「あと、ぼくに言ったのも賢い選択だと思うよ」  グシャグシャと髪を掻き混ぜられて……急に小さな子供になった気がして恥ずかしくなった。  その手から逃げるために身を捩るけれど、瀬能の手はしつこく追いかけてくる。 「君、高校卒業認定取らない?」 「なんっ いきなりっ  ちょ、手ぇやめてくださいよ」 「あと大卒資格も」 「はなっ  わっ、話が見えっ  ゃ、やめてくださいっって!」  椅子から転げ落ちてやっと瀬能の手から逃げることができたが、髪はグチャグチャだ。 「それでちょっと、ぼくの研究に手を貸してよ」 「はぁ?」 「バース性の研究」 「手伝うって   」  傍に座り込み、目尻に皺を寄せて柔和な笑顔を見せられると、胡散臭い笑顔よりはマシだけれどちょっと身構えてしまう。 「じ 人体実験とか?」 「偏見だねぇ」  解剖されるイメージしか湧かない。  標本や、ホルマリン漬けとか、貧相な想像と言われそうだが、それがオレの限界だ。 「君は鼻がいいし、そのせいかフェロモン慣れしてるし、どうかな?」  いきなりで戸惑うオレの目の前に、親指と人差し指で作られた輪っかが突き出され、ついでにパチンとウインクされた。 「給料出すよ?」 「えっ」 「あと研究したい対象がいるなら進言してくれれば、大神くんに用意させるよ?」 「研究  対象  ?」  もう一度ぱちんとウインクされた。  おっさんのウインクなんて何度も見たいものでもないけれど、瀬能の言葉を頭の中で繰り返すうちに言いたいことが見えてきた。 「手伝う!それで、雪虫 を、   研究には雪虫が必要です!」  言い切った瞬間、瀬能が物凄くいい顔をして振り返った。 「  ってことでさぁ、助手が研究には雪虫が要るって言ってるんだけどー?」  廊下からこちらを覗く大神が、眇めるようにオレ達を睨んでいる。  風呂上りだからか半裸の大神は、薄暗い廊下にいても隆々とした筋肉ははっきりと見て取れて、会った日に殺されなかったのは運が良かったからなのかなって思う。

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