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雪虫 32
「気をつけて歩けよ?」
「うん!」
ひんやりとした手を握って玄関扉を開けた途端、黒い壁に阻まれて思わず立ち止まった。
「 っと、 直江さん?」
厳しい黒のスーツを着た人物の名前を呼んで見上げるも、こちらを見下ろす目に感情は見えない。
「あ 用事ですか?オレ達ちょっと散歩に 」
「戻ってください」
「えっ 」
口調は丁寧なはずなのに有無を言わせない雰囲気で促される。玄関から出かけた体を押し戻され、雪虫と顔を見合わせるもお互いにどうしてなのかの答えを持っておらず、戸惑いしかない。
「病み上がりですし」
「あの、ホント、ちょっと散歩だけなんで 」
「雪虫は日差しに弱いので。また改めてください」
「いや、今日曇りだし……」
「曇りの方が紫外線がきついと言いますので」
そう言うと、直江は扉の前で仁王立ちしてしまい……
「だって 」
その場所を譲ってくれる気配のない切れ長の目に睨まれて、言葉を見つけることが出来ずにいると、繋いだままになっていた手を引っ張られた。
振り返ると、雪虫が小さく首を振る。
それは中止にしようの意味合いだ。
言い返そうとした言葉も、雪虫の小さな首振りに遮られてしまった。
「 もしかして、雪虫が出ないようにずっと見張ってんの?」
直江は是も否も答えない。
引き結んだ唇のせいで表情がないせいか機械のようだ。
家の中にまで付けられた監視カメラ。
靴を持たない雪虫。
タイミングよく現れた直江。
「 なぁ、あんた達、雪虫を 」
監禁しているのか と言う言葉は、見下ろして来た鋭利な目に押し留められた。
ひやりとした気配は、大神で慣れてしまっていたが、直江もまともな稼業ではなかったのだと思い起こさせて……
「 」
「午後に来客がありますので、動きやすい服装をしておいてください」
「 客?」
「『運動』の先生だそうです」
運動?と訝しんだのが顔に出たのか、直江は緩く頷いた。
「大神さんと殴り合って、雪虫を番にするんでしょう?」
からかう気配はない。
直江は至って真剣なようだ。
「 そうだよ」
呻くようにそう言うと直江は満足したのか、軽く頭を下げて出て行ってしまった。
ずるずると廊下に座り込むオレを追って、雪虫も座り込み、小さな頭を項垂れてか細い声で「ごめんなさい」と謝ってきた。
「……謝ることじゃないだろ?」
謝るならオレの方だろう。
望みを持たせといて叶えてやれなかったんだから。
「 どうして出れないのか、知ってるのか?」
小さく首を横に振り、青い両目に涙を溜めてこちらを見る。
見ていると吸い込まれそうな青い目に惹かれて、目尻の涙を拭いながらそっと顔を近づけた。
このまま小さく唇に触れるのは簡単だったけれど、こちらを見つめる雪虫の視線から少しだけ逃げて尋ねてみた。
「なぁ キスしてもいい?」
ひと瞬きして、雪虫が笑った。
「 うん」
躊躇ったオレよりもずっと素直な動きで、雪虫が唇に触れてくる。
やっぱり少し低い体温が一瞬触れて、それからゆっくりと離れて行った。
「 これ、好き」
顔を赤くしてはにかむ姿が可愛らしくて、どきどきとうるさい胸を押さえて顔を伏せた。
「 オレも」
恥ずかしくて顔が上げれなくて、そんなオレにもたれかかる頼りない重さが、愛しいなぁって 思わせてくれた。
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