65 / 665
雪虫 44
万一にも何かあるとは思わないが……
「ベータの人間も置いてある。やきもきするな」
「 大神さんはセキにしないのか?」
大人な一言にむかついて、つっけんどんに言い返してやると煙草持つ手がぴくりと動いた。
「しない。あいつには番を見つけてもらわんとな」
そう言う割には、べったりとマーキングしてあったり、常に傍に置いてあったりするのは……言ってることとやってることが違うと指摘すると、海の藻屑になるパターンか?
「番と言えば、雪虫に当てられたそうだな」
「ぅ 」
袖口から見える包帯を思わず隠してしまうのは後ろめたいからか。
ぎゅっと手首を掴んでそっぽを向いた。
「ラットの感想はどうだ?」
「 」
ぞっとした と言うのが、正直な感想だった。
「…………なったことある?」
「ある」
簡潔な一言に全てが集約されているようで。
窺う視線で互いを見合い、その瞳の中の感想を探り合う。
「わかるな?」
「 わかる」
「なら、専門職のオメガと練習してこい」
────は?
「あの怖さがわかっているなら、雪虫を傷つけないようにテクニックだけでも覚えてこい」
────はぁぁぁ⁉︎
いきなり親元から引き離されたのは別にいい。
いきなり世話しろと連れてこられたのもいい。
いきなり会うなと言い出したのも……しょうがない。
でもいきなり他のやつとヤれと言われて承知できるはずがない!
「なん ──ぃだっ!」
急に立ち上がったせいで頭をぶつけて蹲る。
涙で滲んだ目の前の爪先に動揺はなく、見上げた表情もいつものままだ。
「さすがに乱暴ですよ」
見かねたのか直江が口を挟んでくれたが、大神にひと睨みされて黙ってしまった。
「わかる と言ったな?」
Ωの誘惑の素晴らしさを、
αの理性の脆さを、
噛んだら堪らなく気持ちよくなれると言う確信も。
──わかる。
何より、それを求める自分自身の欲求の強さを、骨の髄まで知らされてしまった。
「根性論でどうにかなるなら世の中にヒートレイプなんかない」
「わか てる よ」
以前ならば、美味しい話と飛びついたかもしれない。
「 」
別に処女厨でも童貞厨でもないけれど……
「雪虫としか、したくない」
そう呻くように言って大神を睨み返す。
鋭い目は触れると切れそうで、正直怖いどころじゃない。
この人に逆らえるなんて微塵も思えないけれど。
「 オレは、雪虫以外抱かない」
大神に睨みつけられてもう少しで悲鳴をあげそうになった時、車が大きく揺れて直江が「もう間もなく着きます」と声をかけてくれた。
苛つきを隠しもしないで、大神は煙草を消して舌打ちをする。
逸らされた視線に、ほっとして外を見ると、奇妙な形の白い建物の地下へと入るところだった。
比較的新しい建物だとは分かるものの、その割には増築を重ねたような印象がある……そんな場所だった。
「やぁ!」
車内の空気を変えるように、ひょっこりと瀬能が窓から覗き込んできた。
相変わらずの胡散臭い笑顔だが、大神の厳めしい表情より幾分もマシで、救われた気分でほっとした。
「大神くん、機嫌、悪そうだねぇ。前途ある若者に凄まないって前も言っただろー?」
「経験者から助言を言ったまでです」
「アフターピルは常備しとくようにって?」
イラッとしたのが傍にいるオレにも分かるほど、大神の苛立ちは高まっているようで、何か起こっても巻き込まれないようにジリジリと距離を取るが、それを詰めてくるのが瀬能と言う男だ。
ともだちにシェアしよう!