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雪虫 62
無理だ。
水谷ならまだ見た目で誤魔化せたが、大神を前にすると無理だ。
体が動かない。
「あの 全然……まだまだって言われてるんだけど」
雪虫が見ているかもしれないと、震えることだけは辛うじて踏みとどまっているが、スーツを脱いで腕捲りをする大神に泣きそうだった。
「そうだな」
「分かってるならやめるとか言う選択肢は 」
「ないな」
もう腕からして比べられないくらい太い。ただ太いって言うんじゃなくて、ちゃんと筋肉のある太さで、人ひとりを持ち上げるのは伊達じゃないと感じる。
「成果の前に一つ、いいことを教えといてやろう」
「はい?」
首を傾げた瞬間、大神が抑揚のない声で「座れ」と言葉を発した。
「────っ」
膝の力が抜ける!
意識していないのに、地面に膝を突いている自分が分からなくてきょとんと大神を見た。
「うゎっ!」
説明もないまま大神は大股で近づき、オレの襟を掴んで立たせる。
「な、なに 今の」
引っ張り上げられてよたよたとよろめくオレから手を離し、大神はやはり抑揚のない声で「座れ」と言う。
「ぅ、わ っ」
膝から力が抜けそうになるが、今度は膝を突かずに済んだ。
でも、意味がわからない。
「座れ」
ぎゅっと体に力を込めて身構えてみたが、今度は何も起こらなかった。
「あの これ、なに 」
「まぁ そうだな、アルファが使うことのできる、強制力みたいなものだ」
「強制力……」
「猫騙しのようなものだと思えばいい。身構えていない相手に対して、一瞬だけ言うことを聞かせる」
「えっ魔法?」
「魔法なわけないだろう」
侮蔑のような視線にも慣れてきた!
「水谷の授業で、隙が大事だと分かっただろう」
それは確かに、嫌と言うほどわかっている。
「それを作るための方法だと思えばいい。理屈はうだうだと言われたが、アルファのフェロモンが関係するらしい」
「 もしかして、前に使ったりとか」
「あるな」
喉に貼り付くような煙の味を思い出して自然と眉間に皺が寄りそうになったところに、「座れ」と声が聞こえて膝の力が抜けた。
「あ 」
「気を抜くとかかる」
また首根っこを掴まれて立たされて……完璧におもちゃ状態だ。
「効果は一瞬だ。言葉も最低限にしろ」
「さ 最低限とか、言われても」
「感情を込めると長くなりやすい」
そうは言われても、オレからしてみたら理屈も何もわからず、いきなり魔法を見せられたようなもので、何をどうするのかさっぱりだった。
「やってみろ」
「わ、わかんないです」
「そうか」
できる人間が教えるのが上手とは限らないって言うあれじゃないのかと思う。
第一、フェロモンが関係しているとは言っても、出し入れって自在にどうにかできるものでもない気がする。
「止まれ」
耳にその言葉が届いた瞬間、ひっと喉に言葉が貼り付いた。
動けない体を掠めた爪先に、ぶわっと変な汗が出る。
「こうやって使う」
「今、掠った!」
心臓が変な音を立てて、耳のすぐ傍で鳴っているんじゃないかって錯覚するくらいドクドク言っていて、とりあえず後ろにじりじりと下がって大神から距離を取った。
「気のせいだろう」
「気のせいじゃないって!」
大神から距離を取りつつ、そう言えば生き延びることが最優先と、水谷に言われたことを思い出していた。
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