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花はいっぱい 30
ジュースを作る合間に出された小さなクッキーを指先で弄っていると、「元気ないね」と柔らかく尋ねられて、少しだけ口角の上がる笑い方に胸がキュッとなる。
忠尚の傍にいると穏やかに心が凪いで……
手元を見ていた視線がオレを見た。
「どうかした?」
少しビターな、忠尚の香りがする。
「 家に帰りたくないって」
「えっ⁉︎」
ぽつんとつい漏れた言葉だったけれど、思いの外びっくりされてこちらが驚いた。
慌てたせいか手の中から果物が転がり落ちて、止めようとした手が台に当たって鈍い音が響く。
「ぃ っ」
「ど、どうしたんですか?大丈夫ですか⁉︎」
「ごめ ごめん、ちょっと心が汚れてただけなんだ……」
カウンターの向こうで頭を抱えてしゃがんでしまった忠尚を追いかけて、立ち上がって覗き込むと真っ赤な耳が見える。
どうして?
なんで急に と思い、自分の発言を思い返して、今度は自分が真っ赤になった。
「ちがっ 」
「俺が勘違いしちゃっただけで、ごめん!」
蹲ったまま、忠尚はぱたぱたと手を振ってなんでもないと繰り返す。
「すみません、オレが変な言い方したから」
「本当にごめん!ちょっと 最近おかしいんだ その、薫くんのことが 」
覗き込んだオレを見上げて、忠尚は赤い顔を更に赤くして言葉を探していたけれど、少ししてから呻いた。
「 気にかかってしょうがないんだ」
どう言う意味なんだろうか なんて、さすがにオレでも分かる。
お互い真っ赤になって見つめ合って……
「こんなおじさんに言われても困るんだろうけど」
「忠尚さんはおじさんじゃないでひゅっ ったい!」
全力で否定しすぎたのか、語尾で舌を噛んだ。
がちんと歯の鳴る音とわずかな血の味に冷静になって、そろそろとスツールに座り直した。
舌を噛むなんていつぶりだったか?小さな子供に戻ったようで堪らなく恥ずかしい!
「口!大丈夫?」
「 痛い けど、平気です」
「俺が変なこと言ったからだよね」
緩く首を振って、口を気にするフリをして俯いた。
せっかく鎮まったと思ったのに心が騒つく。
「でも、あー……こんなこと初めてで、どう言っていいのか良くわからなくて。ただ 言葉を借りるなら、ベータが変なこと言ってるって思ってくれて構わないんだけど 」
忠尚はとても言いにくそうで、言葉を探し探しだった。
「 運命、を 感じたかなって」
え ?
眼鏡のレンズの向こうの瞳は真剣で、冗談を言っているようには見えない。
「いや そのさ、笑ってもらえたら 助かるんだけど 」
居た堪れないのか視線を逸らされて。でもオレはまだ忠尚の言った言葉の意味が良くわからなくて、ずっと頭の中でさっきの言葉を反芻してた。
運命?
少しビターな大人の匂いが強くなって、どっと顔に血が集まる。
「 オレ、え あ 」
言葉よりも先に体が反応したんじゃないかな?って、それくらい先に顔が熱くなった。
「ごめ、学生相手に 何を、言ってんだか はは」
笑ってごまかそうとする忠尚の手の甲が赤いのに気がついた。さっきとっさに動いた時にぶつけたそこに、触れたくなって手を伸ばす。
「 手 触ってもいいですか?」
「これ?」
「はい」
カウンターに差し出された腕にそっと触れた。
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