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花はいっぱい 31

 大人の、筋張った腕。  ぶつけて赤くなった箇所と、少し日に焼けた箇所。  それから、手首のタグ。  数年前から手首につけるタグより、もっと小さくて身につけやすいピアスが主流になってきていたから、最近ではそれが珍しくて目が行った。 「  ピアス型にしないんですか?」 「手続き中だから」  そうか と頷いて赤みの上に手を重ねる。 「  いたいの いたいの、とんでけー」  大人に対してすることなんかじゃないのはわかってるんだけど、差し出されたこの手がなんだか……なんだか?  ……そうだ、愛しい、だ。  だから労わりたくなって、優しくそっと撫でた。 「わ  、 」 「っ ごめんなさい!馴れ馴れしく!」  そう言うのに撫でる指が止まらなくて、掌が汗ばんできているから、気持ち悪く思われないうちに放そうと思うのに放せない。  細いけどしっかりと筋肉のついた腕から、離れたくなくて…… 「でも、痛そうなのが  可哀想で  」  そう言うと、忠尚のもう片方の手が動いてオレの顎にかかった。 「それを言うなら、こっちの方が心配  」  ざらりとした親指が唇を撫でて、軽く押したりくすぐるように円を描いたりしてくる。  くすぐったくて離れたいのに、差し出すように顎を上げてしまって…… 「舌、 見せて   」 「 ん」  請われるままに舌を出すと、眉間にさっと皺が寄って泣きそうな顔になった。  「痛々しい 」と、まるで忠尚が怪我をしたような顔をされてしまって。 「  舐めると、早く治るかな」  どうかな?とか思ったけれど、自然と近づく忠尚の唇を見つめながらそっと目を閉じる。  傷に触れられるとピリッと痛む、でも優しく触れてくる忠尚の唇を押し返す気は起こらなくて、ただ労わるようについばんでくる感触だけを味わう。  ちゅ ちゅ と小さく響くリップ音が耳にくすぐったくて、忠尚が少し離れた時には笑っていた。 「  ごめん、つい……いい匂いがして 」 「全然っ  」  かぁっと二人して赤くなって、気まずさに下を向く。 「  でも、気持ちよかった」 「や、ダメだって  そこは、怒ってくれないと……」  怒る? 「え と  」 「だって君には、恋人がいるのに」  恋人……なんて、オレにはいない。  六華に自分を見て と言われてはいるけど、恋人じゃない。  喜蝶なんて、歯牙にもかけられてないんだから、そう言った関係の人なんて、いない。 「恋人はいない、です」 「えっ  だって、ずっと。アルファの匂いがしてたから……」 「幼馴染 が、アルファで  」  赤みの引いた手がオレの手を取って、ぎゅっと握り締める。  熱い指先が震えて、肌に食い込んで……  痛いのに振り払うなんて考えつかなかった。 「じゃあ  フリーかな?」  喜蝶や六華の顔が頭の中を過ぎったけど、それよりも鼻をくすぐる忠尚の匂いに考えが纏まらなくて、こくりと小さく頷いた。 「   こんなことしちゃって  信用ないかもしれないけど。それでも    」  言葉を探す唇も震えていて、 「   君に惹かれたんだ」  胸が詰まって言葉が返せなかった。  忠尚の震える手は汗ばんで、オレは早く何か言わなきゃと思うのに頭の中は真っ白だった。  六華に自分を見て欲しいと言われた時も、喜蝶に大好きと言われた時も、ここまで胸は震えない。    ────なぜ?  と と と、頬を伝った涙が甲に落ちて音がした。 「わっ  ごめ  ごめん、こんなおじさんに言われても、気持ち悪いだけだよね  」  赤かった顔から血の気を下がらせて忠尚が離れようとするから、慌ててその腕にしがみついて首を振った。  まだポタポタと落ちる涙が腕に筋を作るのを見ながら、「違う」と言う言葉だけをなんとか絞り出す。 「  薫くん?」 「 っ    あ、 なんか、 」  しゃくりで詰まる言葉を辛抱強く待ってくれる忠尚は、しっかりオレを見てくれている。 「 、 胸 が、いっぱいで」  言いたい言葉が詰まりすぎて胸が痛い!  忠尚に伝えたい言葉がいっぱいあって、でもどう伝えたらいいのか分からなくて。  でも、ただ……忠尚が好意を示してくれたことが幸せで。 「嬉しい  」  そう繰り返した。

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