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狼の枷 12

 頭の中の地図と照らし合わせ、こちらの道からでもあかの家へ行くことが出来ることを確認してそちらに走り出した。    あかは、自分の置かれている状況を分かっていない。  いや と、汗を拭いながら直江は首を振った。  大神が何も説明していないのに理解できるはずがない。あかに対しては驚くほど根気強く接してはいるが、元は武闘派で名を馳せた大神が子供相手に噛み砕いて話を聞かせる訳がなかった。  直江が説明しようにも、沈黙の威嚇で傍に近寄らせないのだから話にならない。 「まぁ 自分を犯した相手から説明なんて、聞きたくないだろうけど」  あかにそう言った付き合いの相手がいなかった事は調査済みで、あえて綺麗な言葉で言うならば、あかの花を手折ったのは大神が初めてだと言う事だ。  あの人のアレを受け入れなければならないなんて、最初からハードな体験だ  と自嘲に見える笑みを浮かべて、直江はアパートの二階の扉の前で立ち尽くすあかへと足音を殺して近付いた。  一気に間を詰めて腕を掴んだ。   「   あか君」  ひっと小さな悲鳴と、素足がコンクリートを擦る音がした。  赤い筋を残すのを見ると、ここまでたどり着く間に擦り切れたんだろう。 「  あ の」  蒼いを通り越して紙の様に白くなった顔をこちらに向けて震える姿は、マンションから逃げ出す勇気を持っているようには見えない。 「さ、帰ろう」  逃げられないように力を入れすぎたのか、あかはくしゃりと顔を歪めて痛みに耐える表情を作る。 「  ぃや    。嫌だっ  いやいやっ!触るな!やだって  」  寂れたアパートとは言え人がいない訳じゃない。  素足の子供が一般人には見えない男に捕まって叫んでいる状況は、いつ通報されてもおかしくない案件だった。 「静かに。それにここはもう空き部屋だ」  抵抗が止んで、先程まで口から溢れていた言葉が消えた。  項垂れて大人しくなった姿は、それを十分知っていたと物語る姿だった。    「    入って、見てみるといい」  築年数がいつかも分からない様な古いアパートのドアの鍵は、直江が少し力を入れて引っ張っただけで容易に壊れて、がたつきながらもあっさりと開いて中のがらんとした空間を晒した。  あかを押すとあっさりとなんの抵抗もなく中へと入り、框にぺたりと座り込んでしまった。 「君の母親は、君を売ってさっさと男と逃げた」 「売  ?」  ぽつりと呟き、あかが直江を振り返る。  何も言わないのを見て、自分が過ごしていた部屋を再び見詰めた。  お世辞にも綺麗に片付いた部屋とは言い難くて、化粧品、服、雑多なその他の物がごちゃごちゃとした、それでも馴染みのある場所だった。  けれど、母の物が消えたそこは廃墟のように見えて、知らない場所のようだ。  そう多くないあかの物だけが散らばる、そこは…… 「俺 を、  」  こちらを振り返ることのない母親だったけれど、  男を取っ替え引っ替えしては泣かされて、  まともな生活とは言い難かったけれど、  けれど、家族だった。 「あいつに 売った?」  ぎゅうっと自身を抱きしめた腕に力が籠る。 「   か ぁさん」  呆然と呟かれた言葉は、壊された扉が再び開く音に掻き消えて誰にも聞かれることはなかった。  鍵を壊されていても扉の体裁を保っていたそれが外れて、内側へと倒れ掛けた。 「     あんた 」  狭い玄関に大神が入ると窮屈で、直江は土足のまま部屋へと上がって場所を譲る。 「    」  古いアパートには不釣り合いな男を見上げて、あかは息を詰める。 「わざわざ来なくとも  」 「煩い」  低く唸るような声に含まれているのは明らかな怒りで、直江は背筋を正して口を慌てて閉じた。  ピリピリとした空気が肌を刺すようで、あかは大神から離れるように後ずさる。 「    帰るぞ」  押し殺した感情が消え切らずに、吐き出した息に苛立ちが混じっていた。 「 ゃ、俺の  家は    」  縋るように室内に視線をやるも、そこは僅かな荷物以外はがらんとしていてなんの力もなく、あかを守るためになんの力も貸してはくれない。

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