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青い正しい夢を見る 29

「奥様達は認めてらっしゃらないようだけれど……正美さんには  」 「……正美さんは、一人っ子ですか?」  今更ながらに、そんな事も知らなかったのだと気付いて驚いた。  それは野村さんも同じだったようで申し訳ない表情になって手を止め、「ごめんね」と言葉を零す。 「ちが  僕、自分でも 今更って分かってるんですけど……」  空気を明るくできるかとも思って、はは と笑って見せるも白々しいそれは後の沈黙を更に酷くしただけだった。 「  遥歩さんは、このままで   」  「いいの?」の言葉は飲み込まれて聞こえてはこなかったけれど、十分僕に伝わった。  いいのか、よくないのか、答えは良くない。  けれど、ここを出てじゃあどうするのかと問われても答える事が出来なかった。最初の病院でのΩの扱いを思い返すと、どうにも身が竦む。  抑制剤を飲んでも発情期は来てしまうのだから、その度にまともな生活が出来なくなるのを考えると途方に暮れてしまう。  そうなると、もう僕に選択肢はなくて……  諦めは諦めだったけれど、それでも自分を心配してくれる野村さんにこれ以上心配を掛けたくなくて。 「どうせなら、正美さんと分かり合えた方が、いいかなって。  あとっ、多分、まだ、子供を産むとかそんな事もよく分かってないからだと思うんですけど」  一度あんな経験をしていても、やはり自分の中に子供が出来るのだと言う事が実感できなくて。 「に 逃げる事も、何もできないなら、ぶつかってみるのもいいかなって」  正美 と言うハリボテな存在と言葉のやり取りをして、ハリボテから肉も心もある人としての交流が出来たならば。  彼だって泣く程後悔していた事なのだから、意見を出し合ってより良い関係を築いていけるかもしれない。  番を解消して、  そうなると跡取り問題は、僕には口出しできない事になるけれど、  二人で大奥様達を説得する事が出来たなら、もっといい道が開けるような気がするから、心配そうに僕を見る野村さんににっこり笑って見せた。 「正美さんと、分かり合えたら と思います。自分の出来る事を、精一杯出来たら   」  久しぶりにぐっすりと眠れたせいで、僕はこの生活を、少しでも良くできるんじゃないかなって、自惚れてしまっていた。  考えに考えた挙句、まずは自分の事を知ってもらうべきじゃないかと言う考えに至り、プロフィールを書いて渡してはどうだろうかと思いついた。  氏名年齢を書いた所で、趣味もない自分にはここから先書く項目がない事に気付いてしまったけれど、野村さんの助言に従って好きな食べ物や好きな事を書き出しておいた。それを持って、僕はまた、あの初めての時のように蔵に押し込められている。  医者が予想した通りの日に体調の変化が訪れた。  抑制剤を飲んでいたからか、このまま発情期が来ないんじゃないかって言う淡い期待もあったけれど、それでも三か月の間が開いてくれた為に、体調は悪くない。 「   ────‼」 「   っ」 「………!」  最初の時のように庭の方から言い争いが聞こえてきた。若い方の声は……もう聞き間違えたりしない正美さんの声で、顔も碌々覚えていないと言うのに、それを聞いただけでどきりと心臓が跳ねて最奥がじり……と焦れる感覚がする。  項が熱いのも、噛まれたせい なのかな? 「  馬鹿にしやがってっ!」  勢い良く開けられ、叩きつけられるように閉じられた扉の音に飛び上がると、苛々とした感情を隠しもしない正美さんがこちらを睨んで立っていて、僕は身が竦んでそこから動けなかった。

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