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青い正しい夢を見る 32
青い青い澱の中。
『こんな事をしても無駄なのに』
あの日、帰り際に呟いた正美さんの言葉が響く。
────無駄?
何が?
うつら とした昏い青さの中で、その疑問だけが繰り返される。
あの言葉はいったい、なんの事だったんだろうか……?
その疑問に答えてもらえる事はなくて、僕の生活も変わる事はなかった。
定期的に訪れる病院では、発情期の度に怪我をする事に対して随分と質問をされたけれど、僕は首を横に振るしか答えを持っていない。
やりたくもない事を、人に強要している段階で、加害者は僕だ。
「 ────今回も、駄目、でしたか 」
さすがに何度も結果を聞きに来ると、扉を開けた瞬間に見えた医者の表情を読めてしまうようになる。
困ったような顔に緩く首を振って項垂れた。
毎度感じる、残念さと 安堵。
「君の方に問題はないし、一度番の方に来てもらうって事は出来ないのかな?」
「 いえ、仕事で、忙しい人 なので」
多分。
僕は、何度も何度も体を重ねてる相手が普段何をしているのかすら、知らない。いや、そうじゃなくても必要最低限でしか会う事がない人なのに、一緒に病院に来て貰うなんて絶対に無理だ。
目の前に座っている医者の方が、顔を合わせる時間が長いと言うのは皮肉だった。
「普段、ちゃんと番と過ごせているかな?」
「 忙しい、人なので」
「子供を持つ事に、相手の方は前向き?」
「 はい」
「大事にしてもらってる?」
「 はい」
返事は、嘘じゃない。
正美さんが出す物を出したらさっさと出て行くのは忙しいからだろうし、
前向きでなければ発情期の度に抱きには来ないだろう、
それに、発情期の度にきちんと来てくれるのだから、大事にしてもらっていると言う事だ。
僕はそう 解釈した。
解釈するしかない。
「話し合いとか出来てる?」
「 はい」
話し合い、会話、言葉のキャッチボール。
これは、解釈のしようがなかった。
正美さんに話しかけてはみるけれど、どの記憶を思い出しても成立した試しがない、是の答えを返したけれどそれが嘘だとこの医者にはバレているんだろう。
番からぞんざいにされたΩの、どうしても拭いきれない孤独感は隠しようがなくて……
一度、濡れそぼった雛鳥のようだ と、医者に言われた。
「君が悪い事なんて何一つないんだからね」
「 はい」
何か言いたげな医者に頭を下げて、待合で僕を待ってくれている野村さんの元へと向かった。
「遥歩さん、お疲れ様ですね」
待合で僕を待ってくれていた野村さんがこちらを見て微笑んでくれたけれど、曖昧な表情をして首を振って診察の結果を伝えるしかできない。
子供が出来ていなかった を表すジェスチャーに、微笑みに悲し気な影が差す。
「せっかくついて来て貰ったのに……ごめんなさい」
「そ う 」
僕よりも野村さんの方ががっかりした風だったから、その優しさを裏切りたくなくて「次、頑張ります!」と、精一杯元気そうな声で返した。
僕は表情を取り繕う事は上手くなくて、野村さんにはそれがバレているかもしれなかったけれど……
「お買い物行ける?今日はもう帰りましょうか?」
落ち込んでいる僕を先に帰そうとしてくれる優しさは、どこからくるんだろう?
僕はΩだと言うのに、野村さんの心遣いは細やかなままで。
小さな心遣いは本来娘さんに向けたかった物なのかもしれないと思うと、胸がちくりと痛む気がした。
「大丈夫です、行けますよ。重い物は任せて」
同じ年代で見れば僕は力のない方だろうけれど、それでも野村さんよりも重い物は持てるだろう。
それくらいなら、僕も役に立てるし、唯一出来る恩返しだ。
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