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青い正しい夢を見る 52

 僕も細身だったけれど、奥様はその神経質さを表したかのように更に細身な人だ。  なのに、僕の髪を鷲掴んで易々と縁側を引き摺って行く。止めようと間に入る野村さんは弾き飛ばされて、僕は引きずられたまま沓脱石の上に落とされて強かに足を打ち付けてしまった。  痛みを訴えて抵抗しても、髪の絡んだ指を更に激しく振り回すだけで、事態は悪い方にしか転がらない。  奥様の怒鳴り声はもうほとんどが聞き取れないくらい甲高くて、時折「オメガの癖に」と言う部分だけは、耳が慣れているのか理解する事が出来た。 「次のヒートまで  ここにいなさい!その精液塗れの汚い顔をっ見せるんじゃないわ」  ごっ と蔵の扉に頭が当たったけれど、引きずられた痛みに比べればなんと言う事はない。 「  っ」 「そしてここでお父様と交わって、正美を孕むのよ!」  キィ と絹を裂くような甲高い声でそう叫び、僕を押し込めてから重い蔵の錠を下ろしてケタケタと笑い出した。  真っ暗な蔵の中に居るからか、それとも明らかに正気でないと思える奥様がそこで高笑いをしているからか、膝が笑って立っている事が出来ず、崩れるようにその場に膝をつく。  うるさい程の心臓の音を覆うように、いつまでもいつまでも奥様の甲高い声が聞こえていた。   目を閉じても、伊藤くんが目の前に現れる事がなくて……  膝を抱えているせいで熟睡できないからだろうか?と、こんな状況なのにぼんやりとどうでもいい事を考えていた。  いや、どうでもいい事ではない、今の僕に出来る最上の現実逃避だ。  夜は寒くて、  腹は空っぽだ、  水すら差し入れてもらえなくて……  このまま発情期まで? 「ふ  ふふ   」  Ωを何だと思っているんだ。  食べなくても生きていけるとでも思っているのか。  微睡んでも、救いは来なくて、ただただ募る怒りに唇を噛み締めて蔵の戸に拳を振り上げた。  強固な蔵の扉は僕の力で殴ったぐらいじゃ揺れもせず、こちらをあざ笑っているように思える。  空腹で時折意識が飛ぶせいか、自分がここに放り込まれてからの時間が朧だ。  体を起こしておくのが億劫になって、埃っぽい木の板に頭をつけた。 「   伊藤くん」  せめて夢で会えて、励ましてくれたらと思うも、夢は現実には来れずこの状況をどうにかしてくれる力もない。  でも、それでも縋れるものとして、その優しく爛漫に笑う顔が見たい。

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