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かげらの子 61

「さぁ宇賀、先神様に、水を多く多く流して頂くよう願い申し上げておくれ」  殴られた捨喜太郎程ではないしにしても、男達の乱暴で宇賀の体は擦り傷だらけだし、黙っているだけでどこか目に見えない部分を大きく損傷している可能性もある。  そんな状態で今すぐここから出て行けと言う伊次郎の言葉に、信じられない気持ちで避難の目を向けた。 「彼 の、手当も……私と共に落ちたんです、どこを痛めているかも分からないんです!」  伊次郎の冷たい視線から逃がすように背後に宇賀を隠すと、小さな頼りない手がそっと背中に押し当てられて、そこだけがほんのりと火が灯ったように温かく感じられる。  それに勇気を貰うように、しかめ面をして自分を見る伊次郎を、捨喜太郎はしっかりと睨み返す。 「榎本さん、宇賀には男巫女としての役目もあります、ここに縛り付ける訳にはいかないのですよ」  そう、それらしい事を言って見せるもそれが本心じゃない事は分かりきっている。  最初から宇賀に近寄らないように言う等して、毛嫌いしていたではないか……と、捨喜太郎は苦虫を嚙み潰したような心持で伊次郎を見る目に力を込めた。 「巫女の役割は、手当をしてからでも十分でしょう⁉」  手が添えられた背中が熱く、その温もりでくらくらと目が回りそうになり、捨喜太郎は必死に奥歯を噛み締めて毅然とした態度を取ろうとする。  不快感を隠しもしないでこちらを睨みつけてくる伊次郎に、捨喜太郎はともすれば折れてしまいそうで、早口で言葉を言い募った。 「それからでも遅くない筈です!例え先神の巫女だと言っても人間です!痛みも感じるし苦しみもする!」  背中の手が震えて、頼りない体温が背に凭れ掛かってくる。 「この村に、宇賀の治療をしようと言う人間はいません」  「さぁ、出て行きなさい」と言葉を続けて捨喜太郎の背に寄り添う宇賀に手を伸ばす。 「……彼をこの村から連れ出してでも、手当を受けさせます」  はっきりとここまで我を通そうとした事は今までの人生で記憶になく、捨喜太郎はどくどくと心臓が跳ね上がり、激流のように血液を送り出す音に怯えて耳を塞いでしまいたくなった。 「  ……宇賀は、この村から出られません」  普段よりも更に硬い声がそう告げ、留夫に湯を沸かすようにと続ける。  何か言いたげな表情をしてから留夫は頭を下げて広間から出て行く。  その姿は従順な下男そのままで、先程村人達の前で見せた人を凍えさせるような雰囲気は微塵もなく、それが奇妙な世界に足を踏み込んだかのような居心地の悪さを感じさせて、捨喜太郎は背中の宇賀を労わる振りに紛れてそれを誤魔化した。

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