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かげらの子 64

「本当に、申し訳ない事をしました」 「……いえ、それは…………もう自分でいいと言いましたから」 「  ありがとうございます。ではお拭き致しますね」  絞った手拭いで顔を拭かれると白い布に赤錆色の染みが幾つも浮き上がり、綺麗に洗われたそれを汚してしまう事に申し訳なさを感じ、捨喜太郎は項垂れる。  ああもあからさまな悪意を産まれてこの方向けられた事のない捨喜太郎には、彼らを駆り立てた要因を見つける事が出来なかった。 「…………私は、あの人達に何を したのか  」  ちゃぷん と手拭いを濡らす音が響く中、思いの外大きく聞こえた自分の声に捨喜太郎自身が気まずそうに視線を逸らす。  留夫は手を止めないまま、「そうですね」と口の中で呟くように答える。 「人の恨みは自らの身ではどうにもならない物でございます」  それは返答と言うよりは、自分自身に言い聞かせているように見えて、捨喜太郎は怪訝な顔で首を傾げた。 「ただ存在するだけで疎まれると言う事は、ままある事でございます」 「それは……」  自身の事を言われたのか、  宇賀の事を言われたのか、  それとも、誰かの事なのか、  問い掛ければあっさりとその言葉の意味を聞く事が出来そうだったが、捨喜太郎にはその勇気を奮う事が出来ずに唇を引き結ぶのが精一杯だった。  ただ、広間での村人達の留夫に対する態度を慮ってみれば思い当たる物がない訳ではなく、捨喜太郎は昔に聞いた事のある家族制度の話を思い出しながら丁寧に傷の手当てをする留夫を見下ろす。  その制度では、長男以外は結婚もせずに滅私で家に仕える筈だ……と思い出し、最初に名前を聞いた時に末子だろうと当たりを付けた事を続けて思い出した。  それが恨みか疎みかは定かではなかったが、村の治役の息子として生まれた彼が生まれの順番だけで、妻もおらず子も持てない境遇になったとしたら、その憤りは如何程の物か と、……長男として生まれ、他の兄弟よりも優遇されて育ってきた捨喜太郎には想像を巡らすしかできない。  塗られて行く軟膏の独特の臭いに顔を顰めると、留夫が幼い子供を見るような微苦笑を零す。 「良く効く軟膏ですのでご容赦下さい」 「きつい臭いだな……これもこの村の秘伝の軟膏なのか?」 「ええそう、お授かり物ですよ」  授かり物 と口の中で呟き、捨喜太郎は以前にもそう言った事を聞いた事を思い出した。 「この軟膏の作り方を伝えたのは……」  そう問い返すと留夫は「あっ」と言う顔になり、やや暫く考え込むような素振りを見せる。

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