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かげらの子 73

「……もう少し、か」  そう思いたい と言う感情がない訳ではなかったが、そう自分を励ますしかなくて捨喜太郎は不安に押し潰されそうだった。  両足を踏ん張り、肩を頭上の板につけて一気に力を籠める。  何度か試してやっと指一つ分の隙間が開き、薄い光が足元に差し込んでくる、長い時間を穴倉の中で過ごしていたせいか、何の事はないただの夏の斜陽が酷く眩しく見えた。  どんなに数を束ねた飾り石の首飾りの輝きよりも、温かな色合いの一条のそれの方が美しくて…… 「夕方……か。祭りは」  潔斎の日だとすれば祭りは明日と言う事になる。  未だに雄雌蛇に関する祭事について未練がない訳ではなかったが、こんな目に遭ってまでまだその詳細を知りたいとはどうしても思えない。喉から手が出る程知りたかった祭りの内容よりも、宇賀と共にこの村を離れたいと言う気持ちが勝っていた。  宇賀の立場を考えれば、円満に正攻法で連れ出す事は無理だろうと言う事は分かる。  宇賀はこの村の祀神の男巫女であり唯一先神に直接祈願できる位置にいる人間だ、そんな人間の代わりがそうそう居ない事は当然だし、そのお役目がなかったとしても宇賀は男巫女とは違う、この村の空気抜きとしての一面も持ち合わせている。男達の気晴らしの為に身を捧げ、乱暴に扱われようが汚物を掛けられようが粛々と受け入れなければならない後釜に、納まりたがる人間がいるとは思えない。  この村で、宇賀の存在は持て余された爪弾きの存在ではあるけれど、その重要性は覗き込めない程暗い闇の中に沈む位に重要だ。  そんな宇賀を、村が手放すとは思えない。  村から鉄道までの道を思い描き、この村に来るにそこを通るしかなかった事を思い出し捨喜太郎は顔を顰め、こめかみを擽る汗を拭った。  道は一か所のみ……  逃げたと分かればそちらを追いかけるだろう。  宇賀は山道だろうがどこだろうが駆けて行く事は出来るだろうが、問題は自分だ と思い至って捨喜太郎は大きな溜息を吐いた。今ほど体を鍛えておけばよかったと思わなかった瞬間ははい と、苦虫を噛み潰したような顔で手の平についた土を叩いて落とす。  山道に慣れていない自分では、宇賀の足手纏いになってしまう。  自分が彼の重荷になると言う考えに胸を詰まらせて、捨喜太郎はへたり込むようにして腰を降ろした。差し込む一条の光に当たっている腕のその一部だけがほんわりとした温もりを伝えてくれている。

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