553 / 665

かげらの子 78

「  お待ちしておりました」  留夫と同じ、何の模様もない仕立ての良い着物を着た伊次郎が屋敷の入り口にあの月のような提灯を持って立ち、捨喜太郎を確認するとそう言って深く一礼して見せる。  岩を叩いたような硬質な面には感情らしい物が浮かんでおらず、もしや何らかの形でこの訳の分からない事態を治めるか、救う為に手を差し伸べてくれるのではないかと思っていた捨喜太郎を打ちのめす。  引き結ばれた口元は会話もした事がないような他人行儀な物だった。 「崎上さんっ  一体、どう言う事なんですか⁉きちんと話を  っ」 「では身を清められますよう、ご案内いたします」  ゆらりと提灯が揺れ、それに沿うように伊次郎が踵を返す。何日か寝泊まりもして慣れ親しんだ筈の家なのに、初めて訪れたような余所余所しさを感じながら、運び込まれるようにしてそこへ足を踏み入れると、なんとも言えない異臭が鼻を突く。  話も聞かずに事を運ぼうとする周囲に抵抗を示すように身を揺すって示すが、更に強い力で腕を掴まれるだけで歯痒さが募るだけだった。 「このっ  臭いは  」  鼻をすん と鳴らしてはその独特の臭いに自然と鼻に皺が寄る。  日本ではまず嗅ぎ慣れないその臭いは、系統を分けるとするならば香の匂いだ……と辺りを伺いながら見当をつけ、臭いの元を探るように辺りを見遣った。臭いが目に見える筈はないと分かっていながら、目で追うように視線を揺らす。 「留夫、新しい着物を」  先導を止めて振り返った伊次郎が提灯を留夫に渡してそう言うと、恭しくそれを両手で受け取った留夫が深く一礼して奥の部屋へと姿を消した。  臭いに気を取られていた捨喜太郎ははっとすると、伊次郎は両脇を固めた男達に手を離すように声を掛ける。 「いやぁ……でも、  」 「ここまで来て暴れると言う事もないだろう。それに、ここで暴れたら番様である宇賀がどうなるか、赤子でないのだから分かって下さるでしょうし」 「…………」  気まずそうにお互いの顔を見る二人の男達の背を押すように、伊次郎は捨喜太郎に「でしょう?」と同意を求める。酷薄な顔でそう尋ねられるとひやりとしたものが背中を伝い、捨喜太郎は固唾を飲みながら頷くしかできなかった。

ともだちにシェアしよう!