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かげらの子 102

 腕の中の赤子は、先程のむずがりを欠片も見せずに健やかな寝息を立て、緩い呼吸を繰り返している。 「   え?」 「宇賀の子です」  繰り返されて、捨喜太郎は初めて腕の中の赤子の顔に視線を遣った。  頭頂部に生えている毛は黒々として豊かで、宇賀の長い美しい黒髪を思わせる、瞳はどうだろうか と捨喜太郎は見たくて堪らなかったが、穏やかな眠りを妨げる事を出来ずに伏せられた可愛らしい睫毛を見るに留める。  ふっくらとした頬は健康そうで肌は清潔だった。  丁寧に育てられている事の分かるその健やかさに、捨喜太郎は胸の締め付けられる思いを抱いてしまい、慌てて伊次郎へとその子を返す。 「…………大人しく、いい子です。時折むずがる以外、手のかからない」  そう言うと伊次郎は赤子を抱えてゆらゆらと揺れる。その春の日差しの中に立つ幽鬼のような姿が滑稽で、捨喜太郎は続ける言葉を無くして俯いた。  ここに来れば宇賀に会えると、どこかで留夫達のように盲信的に信じていたのかもしれない と、自分の歪んでしまった指を見詰める。  まさに這うようにしてここまでやって来たのに、宇賀の存在自体がすでに無いのだと告げられて……  と と と指先に雫が落ちる。  信じてくれ と告げた癖に再びその死に目にも会えなかったのだと、捨喜太郎は自身の不甲斐なさと独り逝かせてしまった申し訳なさに繰り返し謝罪の言葉を口にした。  冬の日よりも幾分日が長くなったとは言え日の陰り始めた村は深い影が落ち、人の気配らしい気配はない。  一年前は、山奥の寂れた村だとは思いもしたが、そこで生活している人の気配はそこここにあり、今のようなまるで廃村と言いたくなるようは雰囲気はなかった。 「  ──── この、村の様子は……」  捨喜太郎は、何を言うでもなくただの気持ちが済むまで辛抱強く傍らに座ってくれていた伊次郎に、眼下の寂れた村の事を問い掛けた。  伊次郎は赤子の頬を擽り、なんと告げた物かと思案顔を見せた後、小さく一つ溜め息を吐く。 「皆、街へと出ました」 「それは……」  物見遊山と言う訳ではないのだろう。  春だと言うのに何も植えられず、ただ草の伸びるに任されている畑が物語っている。 「留夫が主犯として、大半の働き手が収監されて……まぁ、後は……いつになるか分からなかった村の統廃合が急に決まって 」 「私の……家ですか……」 「…………」  伊次郎は答えず、小さく苦笑を浮かべた。 「父、ですね」 「……お詫びにも窺ったのですが、それが余計に逆鱗に触れたようです」 「そ  っすみません っ父が、……父は   」  捨喜太郎や妹弟からしてみれば、厳しいが子供には甘いと言う意見が一致しそうな人だったが、それは家庭に向けてのみだと言う事も良く分かっていた。代々続く旧家の当主として辣腕を奮っている事は、世間に疎い捨喜太郎にも聞こえてきている事柄だ。

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