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かげらの子 103
息子を半死半生にした事に対し、何の手を打たないと言う筈はない。
「子煩悩な人で……」
意識も戻らず、覚悟をして下さいと医者に言われた時には、邪気払いになるからと一晩中病室に付き添って名を呼び続けてくれたと捨喜太郎は聞いていた。そんな人が報復するのは当然で、何も思いつかなかった自分を恥じるように俯いた。
「いえ、良い事です」
「…………」
「私は、父がどう言った物か知らないので。それも親の愛情なのだと思うと、恨みを思うよりも羨ましさが勝ります」
「あっ そ、うでした、お亡くなりになったと」
「そのようです」
まるで感情が笊で出来ていて、その事に関しては何も引っかかる事も悲しむ事もない物言いに、捨喜太郎の眉間に自然と皺が寄る。
自分が発した言葉が捨喜太郎に不愉快さをもたらしてしまったのだと気付いた伊次郎は、似合わない「ははは」と言うからりとした笑いを零した。
「私がこちらに来た時には、父はもう亡くなっていたので」
「 っ」
「幼い頃に会いに来た事もないと聞いていたので、縁は榎本さんとの方が濃いのではないでしょうか。全くつくづく家族の縁に恵まれませんね」
夕日を受けて伊次郎の横顔は草臥れているのかと思ったが、赤子を見る目は思いの外穏やかだ。
「父が亡くなり、私の存在が明らかになって……そう言えば、榎本さんはこの村の世襲制度をご存じですか?」
「いえ……ただ、おじろく制度があるのでは と思っていましたが」
「おじろく……そうですね、それに似た物がこの家にはあります、覚えてらっしゃいますか?兄弟の話を」
さる高貴な身分の兄弟 と言う話なのは、聞き返さなくとも十分覚えている事だったので捨喜太郎は素直に頷いて見せる。
「兄御は不遇の中で弟御を死なせてしまった罪を悔いて、以後は子々孫々にきつく長男が家を継ぐ事を禁じました。子供が一人の場合のみ、その子が継いだそうですが……留めると言うまじないまで掛けていたのに、妾に産ませていては笑い話にもならない」
「では 留夫は……」
「放っておいてくれれば良かったものを」
吐き捨てるようにそう言うと伊次郎は捨喜太郎に赤子を渡して立ち上がった。
「さて、男料理で申し訳ないが夕飯にでもしましょう」
夕日が沈みかけると家の中は暗い静謐に満ちて、その中に立つ伊次郎はまさに幽霊だ。
もしや本当に伊次郎はこの世の者ではないのではと言う思いがちろりと過りそうなった時、ふっと明かりが灯って辺りに黄色い光が零れ落ちる。
眩しさに、捨喜太郎だけでなく赤子も驚いたのかむずむずと腕の中で動き出し……
「わ 、ぁ、えっ あのっ あのっ!」
「揺すってやって下さい。重湯の用意をしますから」
妹や弟はいたがそれには乳母がいたし、抱かせてもらう事はあっても一人任されると言う事を経験した事がなかった捨喜太郎は、もぞもぞと動き出した赤子をどうしてくれようかと、とりあえず伊次郎の助言に従って緩く揺すってみせる。
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