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落ち穂拾い的な 六華と瀬能と赤ちゃんと……

 珍しく困り果てて目の前の少年を見遣る。  診察室に着た途端泣き出し、しゃくりを上げているせいで話が話にならず、泣いている原因がまったくわからなかったからだ。 「ぅ  ぅ 、うう゛  うーっ」  時折唸るように何事かを言うけれど、残念ながらうまく聞き取るスキルはなかった。  親ならば……とも思い、阿川を呼びに行かせようかとも思うも、少し思案してそれもやめてしまう。  あからさま と言う程ではないと思いたいけれど、傍目に見て阿川が自分の子供を扱いあぐねているのは一目瞭然だった。  混乱する人間が一人から二人に増えるだけか……と溜息を吐いて、まず提案してみる。 「とりあえず、ホットミルクでも飲む?」 「さ、 さと が、は、ははいってっ   ない、ならっう゛ーっ」  まだ十歳にもなっていなかったはずなのに、砂糖を入れない方がいいなんて珍しい注文だ と目をぱちくりとさせながら、内線で食堂にホットミルクを持ってくるように言う。 「少し落ち着いたら、話せるかな?」 「ん゛ん゛ おっおちつ  おちづい゛でる゛も゛ん゛っ」  そう叫ぶ六華に苦笑が漏れる。 「うん、そうだね、じゃあ、ここに来た理由を教えて貰えるかな?」 「う゛  学校の、皆がっ  ぼくとぎんかはふたごじゃないって!どっちかがもらわれてきた子なん゛だっでーっ!」  意外な言葉に「はぁ?」と首を傾げる。  六華と銀花は誰がどう見ても、きっと道で擦れ違う人だって双子だと認めるほどそっくりで、双子じゃないのなら何が双子なのか……と言いたくなるほどそっくりだった。  産まれた時から見ているとは言え、今日も研究室に入って来た時には、名乗ってもらわなければどちらがどちらだかわからなかったほどだ。  もっとも、それを見分けることのできる人物もいるのだから、さすが親と言うべきだろう。 「ぼぼ、ぼ く、ぎ、ぎんかともっおとうさんともっ  家族じゃ、ないなんて、やなんだもんんん゛っ」 「いや、君ら絶対に兄弟だよ」  そう言うとひくんとしゃくりを飲み込んで首を振る。 「でも、双子で、いちらんせ?で、アルファとオメガなんてないって!」  そう叫ぶと六華はまた大声で泣きだし、赤く腫れあがった目をまた擦りながら俯いてしまう。 「なんだい、そんな話かい?」  この世の終わりとばかりに泣き続ける六華にそう声をかけると、驚いたのか一瞬泣き声が止まり、胡散臭いものを見るような目がそろりと見上げる。 「あるある。それなりにある話だよー説明したげるから、お友達にも話してあげるといいよ」 「ふぇ?」 「まず、一卵性双生児と言うのは親の体内で受精卵が多胚化したことを言うんだけど、この際にこの受精胚が綺麗に真っ二つになると言うことはほぼないんだよ。不均一な細胞量で分裂するから少し違った異なる遺伝情報になるわけさ」 「ふぇー」 「二つに分かれる前の受精卵のバース性染色体がαΩの場合に、多胚化する際に一方のα染色体が欠落しOΩとαΩの異性一卵性双生児として誕生する可能性がある。もしくは受精卵のバース性染色体がαΩΩ型であった場合、分裂して増える際にそれぞれの性染色体がαΩとΩΩに分かれることで……」  ふーん……と生返事を返して、六華はパタパタと足をバタつかせる。 「君らはたまたまそっくりだけど、核の情報が違うから今後……」  きいぃーと丸椅子を回して遊んでいる六華が、はっとなって顔を上げたと同時に、研究室のドアがコンコンと小さくノックされた。 「  ……で、変わってくる可能性もあるってわけだ。どうぞ」 「────瀬能先生?失礼します」  そう言うとお盆にホットミルクを乗せてそろりと中を覗き込んでくる人物と目が合った。 「お兄ちゃん!こんにちは」  六華はそう言うとぴょこんと椅子を立ち、その年頃の子供には似つかわしくないほど礼儀正しく深々と頭を上げて挨拶をする。  阿川の教育の一環を見た気がして、うんうんと頷いてから「何の用かな?」と視線を遣った。 「とりあえずこれ、ホットミルクを預かってきました。それで、健診をお願いしたんですけど、病院の方におられなかったので」 「あっ」  しまった とばかりに頭を掻いた。  正式な予約でもなく、個人的に診察すると口約束をしていたせいでスケジュールにも乗らなかったんだろう。 「いや、申し訳ない」 「お兄ちゃん、どこか悪いの?」  さっと顔色を変えて、慌てて先程まで自分が座っていた椅子を勧めるのだから、本当に良く躾けられていると思う。 「違う違う!あのね、ここにね」  そう言って彼はお腹に手を当てて顔を赤らめた。 「赤ちゃんがいるの」 「おーっ!赤ちゃん!仁たちまたおにいちゃんになるの!?すごーい!」  ぱぁぁぁっと顔が明るくなるのは、その誕生を手放しで喜べる素直さがあるからだ。  それを微笑ましく見やりながら、先程まで大泣きしていたなんて思えないほど瞳をキラキラさせて興味津々でお腹を見詰める六華に、もう一脚の椅子を勧めた。 「もうね、動くようになってるんだよ」 「わぁ!あの、触っても……いいですか?」 「んー、六華くんなら大丈夫だと思う」 「ありがとうございます!」  そう許可を貰ってから、六華は小さな手を伸ばして触れようとした。 「あっいたっ」 「えっ⁉」 「なんかぱちってきたっ静電気かな?」 「大丈夫?」 「僕は平気、赤ちゃん大丈夫?お兄ちゃんは大丈夫?」 「二人とも大丈夫」 「赤ちゃん、びっくりしたのかな?」 「んー どうだろ?ごめんね、六華くんもびっくりしたよね」  はは と笑う彼を見てから、六華は改めてそっとその腹部に手を伸ばし、 「  ────大丈夫だよ」  そう囁いた。 「もう大丈夫、怖いのはないよ、僕が守ってあげるからね、もうぱちんてしなくていいし、どんな悪い奴らが来ても、君はぼくが一生守ってあげるからね」  にこにことまるで愛の告白でもするように告げると、照れたように肩を竦めてもじもじと指を握り締める。 「この子はね、とっても小さくて可愛い女の子だと思う。だから、おっきいぼくが急に触ろうとしてびっくりしちゃったんだと思う。でも、もうぼくが味方だってわかったから大丈夫」 「この子、女の子なの?」  妙に確信めいた言葉にそう問い返すと、頬を赤く染めながらこくりと頷く。 「ぼくのおよめさんになって欲しいくらい、可愛い女の子」  嬉し気に微笑んで細められる仄かに青い瞳はもうすでに先程までの憂いはなくて……  ホットミルクをふうふうと冷ましながら飲むその姿はどこから見てもただの小さな子供だった。 END.

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