8 / 16

第8話 運命に呼ばれて(2/2)【輝】

 週末に二人でスカッシュを楽しんだ後、焼肉を食べていた時に、(あきら)の部下が横領をしている可能性があると賢太郎(けんたろう)から指摘され、輝は、溜息をついた。 「……あの人が、多少そういうことをしてるって噂は、社内でもチラッと出てたことがあるんだ」  困ったように眉を下げて輝が言うと、賢太郎は両拳を握り締めて気色ばんだ。 「ええっ?! だったら!」 「とは言え、実は、その類のことって、ちょくちょくあるんだよ。全員を厳格に処罰してたら、うちぐらいの規模の会社じゃ、キリがないっていうか……。まぁ、だから、よっぽどでなければ、見逃して来たというか……」  輝が、歯切れ悪く言い訳すると、賢太郎は、呆れたように首を振った。 「これ、横領とか背任だよね?! 輝さん、部下の犯罪を黙認するの? それはダメだと思う。もし、江川(えがわ)さんとか、真面目な部下の人たちが、輝さんが犯罪を黙認してたって知ったら、どう思う? 悪いことをした人がのさばって、真面目な人が報われない会社だって、そう思われるよ?!」 「うーん……。賢太郎の言うことはよく分かるよ。でも、あの人、うちに長くいてくれて、忠誠心はあるわけだしさ」  なおも、課長を断罪することを渋る輝の目を、真剣な眼差しで覗き込みながら、賢太郎は静かに問い掛けた。 「……輝さんは、会社のお金をネコババしてる人と、真面目に働いてくれる人と、どっちを大事にするの? 輝さんは、三國(みくに)工務店をどういう会社にしたいと思ってるの? 社長なんか継ぎたくないって言ってたけど、周りの人たちは、社長の息子の言葉は、社長の言葉と同じだって思ってるよ」  輝の脳裏を、子どもの頃の思い出がよぎった。ショールームで、はしゃいで走り回る姉とお客様のお子さん、そして自分。優しく見守る輝の両親、お客様、そして、実直だった棟梁。  輝の父より年上の棟梁は、親分肌で、曲がったことが大嫌いな人だった。若い職人を、手塩にかけて育て、弟子が一人前になって結婚するとなると、披露宴で人一倍泣くような、人情味あふれる人だった。  その人は、輝が入社する直前に、病で亡くなった。お見舞いに行った時、彼は細くなった手で、輝の手を握って言った。 「あの小さかった輝ぼっちゃんが、こんなに大きくなって……。ぼっちゃんと一緒に家を作るのが、俺の夢でした。俺はもうダメですけど、三國工務店には、俺が育てた職人たちがいますからね。あいつらが、ぼっちゃんをお助けします。……ぼっちゃん、あいつらを可愛がってやってくださいね」 「ぼっちゃん。俺はね、お金の貸し借りは、少額でも、絶対しないようにしてるんです。人間、お金を借りたら卑屈になる。曲がったものを真っ直ぐだって言われたら、反論できなくなる。借りたお金を返せないと、もっと卑屈になるでしょ。そしたらね、良い家なんて建てれないんです。若い弟子たちだって、ビシッと叱れなくなりますからね。  俺がしゃんとした背中を見せてないと、弟子を育てられないですよ。俺にとって、弟子は、子どもみたいなもんです。一人前の職人にするだけでなく、人間として真っ当に育てること、それが親としての責任です」 (……今の俺がしていることを、あの棟梁に、見せられるのか? あの棟梁の弟子たちが、もし、俺のしていることを知ったら、どう思うんだ? 三國工務店の未来はどうなる?)  輝は、決意を固めた。そして、賢太郎に清々しく微笑みかけた。 「ありがとう、賢太郎。俺がやるべきことを、思い出させてくれて。俺、決めたよ。ちゃんとする」  こうと決めた輝の動きは早かった。明けた月曜、江川係長に証拠集めをさせて、その日のうちに課長を呼び出した。耳が痛いほど静まりかえった会議室で、彼の犯した罪の揺るぎない証拠を突きつけた。 「自分から辞表を書いてください。そうすれば、犯罪として訴えはしません。……これが、武士の情けだと思ってもらえれば」  輝は、課長の目を静かに見つめながら、毅然と言った。  長年、三國工務店に貢献してくれ、忠誠を誓ってくれていると思っていたが、課長は、あっさり辞表を提出しただけでなく、即日辞職した。 「明日からは、これまでの取引先の系列企業で働くことになりました。」  彼は、涼しい顔で言ってのけた。  輝は、課長の変わり身の早さに呆れたが、元々課長とそりが合わなかった真面目な江川係長の、輝を見る目が、劇的に変わったことにも驚いた。以前は、一応上司として立ててはくれるものの、「しょせんお気楽なジュニア」と、少し皮肉な目で見られていたが、「頼りどころのある上司」に昇格したようだった。輝を見る眼差しや、話し掛ける口調に、素直な敬意が現れるようになった。  次の週末、スカッシュの後に、鰻をご馳走しながら、賢太郎にも事の顛末を報告した。 「賢太郎の言う通りだった。大事にすべき人と、そうでない人を、見誤り、俺に対する部下の信頼を失うところだった。賢太郎のお蔭だよ。本当にありがとう」  輝は改めてお礼を言った。 「ううん。僕は、『輝宗(てるむね)様だったら、どうするかな?』って、思ったことを言っただけ。輝さんが、きちんと立ち向かったからだと思うよ。江川さんも、『三國部長は男気があって、頼りになる』って、褒めてた」  にこにこと目を細めた優しい笑顔を向けられ、ちょっと気を良くした輝だったが、賢太郎が冷静な顔に戻って言った次の台詞に、再度がっくりするのだった。 「ただ、江川さんは、輝さんのこと、『女性関係だけはいい加減だ』って言ってたけどね」 「……人聞き悪いなぁ。俺は、特定の彼女を作らない主義なだけだよ。ハッキリそう宣言して、それで良いって言う子と仲良くしてきただけ。 『彼女にしてあげる』とか『結婚しよう』とか、嘘ついたことはないからね。  ……それに、俺、最近は全然女の子と遊んでないよ。賢太郎とスカッシュしたりご飯に行く方が楽しいから」  輝の言葉に嘘はなかった。賢太郎と知り合ってからは、自分からセフレに連絡することはなく、もし向こうから連絡が来ても、会うのは断っていた。  賢太郎からは、『自分はノーマルだ』とハッキリ言われ、態度でも『気安く口説いたり触るな』と明確に拒絶されていたので、彼への想いが叶う可能性が低いことは、輝も、重々承知していた。  ただ、自分の心の中に、想い人として賢太郎がいるのに、他の人を抱く気には、なれなかった。賢太郎が自分を振り向いてくれるか分からなくても、彼に操を立てることが、輝なりの誠意と愛情の表現だった。  輝は、熱い眼差しで賢太郎を見つめた。賢太郎は、その目線に籠められた熱情に気付き、どぎまぎしたように目を逸らした。 「この鰻、美味しいねえ! 僕、こんな美味しいの食べたの初めてかも。さすが輝さんだね。美味しいお店、いっぱい知ってる」  賢太郎は、鰻を大きく箸でちぎって、ご飯と一緒に頬張り、リスのように頬を膨らませてモグモグした。  輝は、賢太郎に対する友情と、募る一方の恋心との狭間で、苦しみ始めていた。  友人として親しくなればなるほど、喜んだり悔しがったり、豊かで素直な表情を見せる彼を可愛いと思った。  輝のあるべき姿や進むべき道についても、遠慮なく諫言(かんげん)してくれ、損得抜きに心配してくれる彼を、大切な存在だと思った。  男友達として、隣で着替えたりシャワーを浴びたりすると、必死に目を逸らしていたが、誘惑に負け、彼の裸を見てしまうこともあった。  余分な脂肪がなく、細くしなやかな筋肉の付いた身体を見ると、抱き締めた時の感触を思い出したし、きめの細かい白い肌を見ると、夢の中で輝宗の腕の中で紅くなって悶える賢佑の姿を思い出し、淫らな妄想が止まらなくなった。  前世の約束について熱に浮かされたように語る彼の瞳が、今の自分に向けられたものであったなら。自分のキスに応えてくれた時の蕩けるような表情を、もう一度見せてくれたら。  輝は、密かにそう願っていた。 ***  三國工務店内で、輝の配下で背任行為があったこと、その犯人を自発的に辞めるよう仕向けたことは、社長にも報告した。  犯人の課長を辞めさせたことは、それとはなしに、社内、そして関係の深い取引先にも、噂として広まっていた。遥かに年上で社歴の長い社員に対しても不正を許さなかったこと、その後も何事もなかったかのように落ち着いていた胆力から、社内では輝への信頼や敬意が強まった。  賢太郎との対話を通じて、自分の人生の意義、使命感について顧みて、真剣に考えるようになった輝は、仕事への姿勢が変わった。  輝の変化に、取引先や部下たちはもちろんのこと、社長である輝の父が、いち早く気付いていた。

ともだちにシェアしよう!