10 / 16
第10話 君が好き【輝】
昨夜は、Aハウスと三國 工務店の二社合同懇親会だった。酔った賢太郎 を車で送る途中、衝動的に彼を抱き締めてキスをした。彼もキスを返してくれたと思ったが、輝が更に先へと進もうとしたら、激しく拒絶され、逃げられてしまった。
あくる土曜日も、輝 は悶々としていた。
自分を制御できなかったこと。
制御できなくなるほど強く、賢太郎を想っていること。
しかし、自分の想いは、彼に受け入れてもらえなかったこと。
ショックだったが、彼にこのまま嫌われてしまうのは、もっと嫌だった。
しかし、『来る者拒まず、去る者追わず』の、遊びの恋ばかりしてきた輝にとって、誰かに許しを請い、引き留めるという経験は無く、どうすれば良いのか、全くアイデアが思い浮かばなかった。
その時、輝は、『ジュニア会』、オーナー企業の社長の息子の集まりで、自社内では『ジュニア』とあだ名されることが殆どなことから、若干の自嘲を込めて命名された会―での会話を思い出した。
『ジュニア会』の男たちの恋愛観は、以前の輝と似たようなものだった。放っておいても次々寄って来る美女から選り取り見取りで、特定の一人に束縛されたくない男が大半だった。
しかし、その日は、珍しく、真剣な恋に落ちた男がいて、少数派の特定彼女持ちが、相談に乗ってやっていたのだった。
「遊び相手なら、娯楽を提供すればオーケーだろ? 彼女たちが好きなのは、見栄えの良い彼氏、インスタ映えするデートやプレゼント。でも、真剣な恋をしたがってる子には、そういうのは通用しない。彼女らが欲しがるのは、お前の心だよ。
彼女が悲しい時や辛い時、どれだけ共感して、話を聞いてやったか。彼女の話に出てきた些細なことを覚えているか。彼女の体調や気分に気を遣っているか。
時間は掛かるぜ。でも、少しずつ信頼を勝ち取って、まずは心を開かせないと、その子と寝るのは無理だよ。
特に、相手が若くて恋愛経験少ない子の場合は、普通以上に時間かけて、安心させてやらないと」
この会話を耳にした時、輝は、他人事のように聞き流していたが、改めて今の状況と照らし合わせて、ドキッとした。昨夜の賢太郎の言葉は、『これ以上は、”まだ”ダメ』だった。
(しまった……、俺が焦り過ぎたんだな……)
妙手は思い付かなかったが、とにかく会って謝ろうと思った輝は、賢太郎の許へと車を走らせた。マンションの前に車を停め、輝は彼に電話した。
「……もしもし」
少しくぐもった声で賢太郎が出た。
「賢太郎……? 今、話しても良い?」
自分の声は、緊張で少し上擦っていた。
「……うん」
「昨日は、ごめん。君が、嫌だって言ってるのに、無理やりなことして」
「……ん。あの……、僕、輝さんのこと嫌いじゃないんだ。でも、何て言うか、まだ、そういう気持ちになれないって言うか。不安とか、怖いって気持ちのほうが強くて」
賢太郎の声は、やや神経質そうな、落ち着かない響きだった。
「うん。そうだよね」
輝はいったん、彼の言葉を丸ごと受け止めた。
「輝さん……、なんで、あんなことしたの?」
賢太郎が聞いてきた。たぶん、これが今一番の彼の本音だろうと輝は感じた。
「……できれば、顔を見て話したい……。今、外に出れる? 賢太郎の家の前にいるんだ」
「えっと、今、お風呂上りで、髪も濡れてて……」
「じゃあ、玄関で良いから入れてくれる? ……絶対、何もしないから。約束する」
輝は必死だった。
「……ん。ホントに玄関で良いなら」
賢太郎は根負けした様子で溜息をついた。
オートロックを解除してもらい、部屋のチャイムを鳴らすと、賢太郎はすぐにドアを開けてくれた。電話で言っていたとおり、お風呂上りらしく、濡れた癖っ毛が揺れている。部屋着らしいダボダボのTシャツとスウェットパンツ姿で、いつもより幼く見えた。輝は遠慮がちに、文字通り玄関を一歩だけ入り、ドアを背にして、後手でドアを閉めた。
「……怒ってる? 俺のこと」
輝は上目遣いで、遠慮がちに訊いた。
賢太郎は、無言で頷き、その後、顔を横に振った。
「もう二度と顔も見たくない、ってほどじゃないけど、怒ってはいるし、他にも色々思ってることがある、って感じ?」
輝は、目を合わせようとしない賢太郎の表情を窺いながら、静かに言った。
「俺の気持ちは、申し訳ないくらい、単純だよ。さっきの賢太郎の質問にも、答えられる。今、答えたほうが良い?」
賢太郎は、再び頷いた。
「キスしながら、何度も言ったと思うけど、俺は、君が好きだから。
君の心も身体も欲しい。俺の好意も、言葉だけじゃなくて、身体でも伝えたかった。
……でも、それって俺の独りよがりだよな。やめてって言われたのに、やめなかったし。本当にごめん」
これを聞いて、賢太郎が初めて口を開いた。
「なんで、僕なんか好きなの?
輝さんの彼女になりたい女の人なんて、いっぱいいるでしょ? どっかの社長の娘とか、良い女子大の子とかで、美人でスタイルも良い人が。
僕なんか、三國工務店さんにとっては、大手発注先かもしれないけど、ただのサラリーマン三年生だから、付き合っても仕事上なんのメリットもないよ。
身体だって、女の人と違って、おっぱいも無いし、貧相だから、抱いても全然楽しくないと思う。男の人との経験もないから、輝さんを喜ばせるようなテクも持ってないし。
……こんな僕を、わざわざ口説こうとするモチベーションが分からない」
賢太郎の声は、か細く震えていた。
やっと伏せた顔を上げて、輝の目を見てくれるようにはなったが、彼は身体を後ろの壁にもたせかけ、物理的に距離を置こうとしていた。輝が手を伸ばしても届かないだろう。明らかに警戒されている。自分の蒔いた種とは言え、輝は少し切なかった。
「……賢太郎は、そんな風に思ってたの?」
輝は、ぽつりと言った。
「賢太郎は、俺が間違った方向に行きそうになったら『それは間違ってる』って、ビシッと言ってくれるじゃん。俺は、職業人としても、一人の人間としても、賢太郎のお蔭で、道を踏み外さないで済んだよ。
俺に取り入って美味い汁吸ってやろうとか、ゴマ擦って持ち上げるだけ持ち上げといて、何かあったら知らん顔する人って、めちゃくちゃ多いのにさ。
何のために今の仕事してるのかとか、人生の大事なことも、賢太郎が思い出させてくれた。
思いやりがあって、心が綺麗なところが好きだ。年上だとか取引先の部長だとかって、変に忖度しない君の勇気を尊敬してる。
顔も身体も好きだよ。
顔は、子犬みたいで可愛いなって、初めて会った時からずっと思ってる。あと、賢太郎の肌って、すべすべしてて触り心地が良いんだ。
確かに身体の柔らかさは少ないけど、何て言うか、身体がしなやかな感じが、抱いてると、ぐっと来るんだ。
テクとか、無くて良いよ。もし賢太郎がすごいテク持ってたら、俺、過去の男に嫉妬しちゃうからさ。むしろ、清純なのに、キスしてる時のうっとりした表情とか色っぽくて、俺は、そういうのにドキドキしてたんだ。
……確かに派手な女の子から誘われることもあるよ。でも、俺、賢太郎と友達になってから、そういう子たちと一度も会ってない。単に、賢太郎が珍しいとかじゃないんだ。君みたいに、俺を心から心配してくれる人を知ってしまうと、浮ついて遊ぶだけの相手じゃ物足りないっていうか、『違う』って思っちゃって」
輝は、自分の気持ちを素直に伝えようと努力した。表情も言葉も、一切取り繕わなかった。まずは、自分の裸の心を彼に見せなければ、彼にも心の扉を開いてもらえないだろうと思った。
「……ごめん。俺、喋り過ぎた」
さすがの輝も、照れて、鼻の頭を指先で擦った。
賢太郎は、輝の目を真っ直ぐ見つめながら、はっきりと言った。
「僕も、輝さんが好き。キスも、嫌じゃなかった。気持ち良かった。だけど、輝さんが、ホントに僕のこと好きなのか、どこが良いのか、自信なかったし。これまで男の人と付き合ったことないから不安だったって言うか。……昨日は、突き飛ばしちゃって、ごめんなさい」
輝は、驚いたように目を瞠った。
「……ホントに……? 俺とキスして、気持ち良いって思ってくれたんだ」
「……聞き返さないで。恥ずかしいから」
賢太郎は耳まで赤くなった。
「さっき、絶対何もしないって言ったけど……、キスしても良い?」
輝は、ゆっくり一歩踏み出して両手を差し出し、賢太郎の頬を包み、俯いた顔を上向かせた。
「……聞かないで。恥ずかしいから」
賢太郎は目を潤ませ、眉を八の字に下げた泣きそうな表情で、輝を見つめ返した。
「ごめん、無粋で……。だけど、俺、賢太郎に嫌われたくないからさ……」
輝は、ゆっくりと賢太郎に口付けた。
「僕が、ダメって言ったら、その時は、ホントに、そこでやめてくれる……? やっぱり、まだ、最後までできるか、自信ない。でも、輝さんが、それでも良いなら、僕がダメって言うまでなら、しても良い」
賢太郎は、キスの合間に、その真心を確かめようとするかのように、輝の目を覗き込んだ。
「……すごい嬉しい。わかった。賢太郎が止めたら、その時は、絶対そこでやめる」
輝の呼吸は、既に興奮で荒かったが、その眼差しは優しかった。
輝の言葉を聞いた賢太郎は、初めて自分から輝の首に手を回し、少し震えながらも、積極的にキスをした。二人は、お互い夢中で唇を貪り合った。キスの合間に絡んだ目線で、賢太郎は、輝を誘った。輝は、もどかしげに靴を脱ぎ捨て、賢太郎を抱きかかえるようにして、ベッドに倒れ込んだ。
ともだちにシェアしよう!