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欲_9
帰路は無言だったけれど、気まずさは微塵も無かった。
郁弥くんの温もりが手の中にあるんだってだけで、こんなにも気持ちが穏やかになるなんて自分でも驚いた。
「手首見せてね」
家に着いて郁弥くんをソファーに座らせて僕は足元に跪き、服の袖を捲くり上げる。
相当力強く掴まれたであろう痕は肌の色が変色していた。
「痛い?」
「いえ、痛みはもう……」
「そっか」
そんなので治るわけがないのに、僕はその痕を出来る限り優しく撫でてみる。
「他には?怪我、してない?」
「してないです。…………僕ちゃんと抵抗しました。抱かせろって言われたけど嫌だって………初めてαに逆らいました」
「うん」
「長谷さんはきっと気付いてるでしょうけど……あの人が以前付き合ってた人です」
「うん」
「ずっと連絡も取っていなくて、なのにいきなり職場に押しかけてきて……僕、すごく怖くて……でも、でも絶対長谷さんの所に帰ろうって、そう思って……」
溢れ出す言葉と浅くなっていく呼吸。過呼吸になりかねないと、隣に腰を降ろして背中を擦った。
「大丈夫、ちゃんと聞いてるから。ゆっくり話してごらん」
「………っ…はい……。……本当に連絡は全く途絶えていたんです。元々お付き合いしていた頃から、会うのはあの人の気分が乗った時………端的に言うとセックスがしたい時だけでした」
「……………」
「今回もきっとその気まぐれだったんだと思うんです。ふらっと現れて、欲を満たしたかったんだと思います。でも僕は………本当にあの人の言う通り今更かもしれないけれど、」
一度言葉を切って郁弥くんは真っ直ぐ僕へと目を向けた。
「僕は長谷さんとじゃないと嫌なんです」
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