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 松岡が契約していた借家を追い出され、知り合いの住まいを転々とする「住所不定無職」の生活を白根が送っているとき、商業高校の同窓で東京の銀行に勤めていた友人が、敬子からの手紙を受け取ってくれていた。  母さんが末期の癌に侵されてもう長くない、退学のことは許していないが父さんと自分がうまく言ってあげるからとにかく帰ってきて欲しい、ということが乱れた筆で書かれていた。家付き娘である母は白根が早く家業に専念することを熱望していたので、彼が革命などという愚にもつかない妄想のために大学を辞め定職にもついていないことを知ると激怒し、こんな馬鹿は勘当すると家に上がることを許さなかった。  敬子の手紙をその頃使っていた登山用のザックに押し込んで、白根は一ヶ月近く忘れたふりをしていたが、どうしても思い切ることができず仲間たちに金を借りH**線に乗り込んだ。  最寄駅に着いたときにはあたりは夕闇に包まれていた。早足で町を抜け緩い坂道を登り旅館しらねの前に立ったとき、彼は違和感をおぼえた。  窓に灯りがともっていない。  客を迎えていれば夕食の時間帯で、どこの窓も明るくなんとなく暖かな雰囲気があるはずだ。  旅館が休業している。夏は終わりかけていたがまだかき入れ時で、休みを取る時期でないことはわかっていた。  それがなにを意味しているのか白根はおぼろげながら察して玄関に飛び込もうとしたが、次の瞬間現実として受け入れるのが恐ろしくなって足が動かなくなった。敬子が出てきて声を掛けてくれたらと願ったが、懐かしいはずの旅館は静寂のなかに沈んでいた。  恐怖に駆られ白根は踵を返して駅に向かった。知り合いに見とがめられないように帽子を深々とかぶり、街灯がつき始めた商店街を抜けて逃げるように上り列車に飛び乗った。  その車両には他に乗客はいないように見えた。白根はボックス席の窓際に座った。昼間ならば田園風景の広がる窓の外は墨を流したようで、時おり揺れと音が激しくなってトンネルに入ったことがわかるくらいだった。  母はいなくても父と姉だけにでも許しを請うべきだったのではないかとか、いやこれで自分は家などという旧態依然とした体制から解放されて革命に専心できるとか、思考がぐるぐると入れ替わって白根の脳を疲弊させた。

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