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ふと気配を感じた白根は振り返った。通路を挟んで三列後ろに男が座っていた。暑さの残る晩夏に背広をきっちり着込んでいるのに学生のような顔つきの男。なにか読んでいるようでうつむき加減にしているが、白根が窓に顔を寄せて注意を払っていると、ほぼ五分間隔でこちらに視線を向けているのがわかった。
白根は立ち上がり、男の隣のボックスに腰を下ろした。男はそ知らぬ顔で本に目を向けている。意識してしまった悔しさから、白根は思わず話しかけてしまった。
「尾行してるのか」
「まあね」
親しげに笑いかけられ、白根はちょっと面喰らって次の言葉がなかなか出なかった。
「……あんたのことは前から知ってる。西早稲田のアパートの周りをウロウロしてただろ」
「うん」
男は弁解すらしなかった。
「僕みたいな一兵卒を尾行しても意味がないと思うけど」
「君というよりは、君に会いに来る幹部に興味があるんだ」
確かに、広報部の白根のもとには松岡以外の幹部も接触してくる。しかし広報じたいは合法的な活動だから、地味な捜査であろう。
「最近、君たちの組織は活発に動き回っているからね。幹部クラスには尾行をまかれたりこちらも苦労しているんだよ。君が珍しく遠出したから、なにかあるに違いないとついて行ったんだがね」
「残念だったな。なんの収穫もなかっただろ」
「うん、とんだ無駄足だったね」
白根はせせら笑おうとしてみたが、できなかった。かわりに目の奥が熱くなり脣が震えるのを止められなかった。
男は静かに続けた。
「公安としてはなんの関係もないし、君たちのいう革命にとっても意味がないのかもしれないけど、君自身にとっては大切なことのはずだよ」
「……」
電車が駅に滑り込み、顔が電灯に照らされた。白根は慌てて男から顔をそむけた。
すぐに発車ベルが響き、再び車内は薄暗くなった。幸いにも新たな客は乗り込まなかった。
「……朝から張り込みして、挙げ句に君を追い掛け回して今日は疲れたよ。もう若くないからなあ。少し寝かせてもらうよ」
男はあくびをし固い椅子にもたれて目を閉じた。
白根は前を向いたまま頬を濡らしていた。
規則正しい揺れと音だけがふたりを包んでいた。
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