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夢魘・下

「おは、よ、お」 「……おはよ」 高橋が怪訝そうに風来を見る。 それもそうだ。 目の前の親友が、7月下旬の真夏に、室内でもないのに長袖を着ているのだから。 「ちょ、風来、そこ、そこに座れ!」 よく見ると顔色も良くない。 高橋は具合の悪そうな風来の姿に、近くのベンチに座るよう促した。 「おい、大丈夫か?」 「ははっ」 「"ははっ"じゃねーよ!大丈夫なのか?」 「ああ、大丈夫大丈夫」 風来は何でもないように笑いながら片手を振る。 しかし高橋から見れば痛々しい他ない。 「ホントかよ……ってか、このクソ(あち)ぃ時期に長袖って」 「ちょ、ちょっとな!」 高橋が服装のことを言えば、風来は取ってつけたような笑いを浮かべ慌てて誤魔化した。 高橋は呆れ顔でため息をつく。 彼は長年の付き合いから、風来のことは大体理解していた。 風来は昔から嘘をつくのが下手だ。 誤魔化し笑いをするときはかなり問題ありだが、一切誰にも相談しない。 中学校からの親友であろうと、大学生でできた仲の良い友人であろうと、誰にも話さない。 風来は、重大なことほど自分で解決しようとする。 「お前が言いたくねーなら別にいいけど。そんな顔色悪くなるまで無理すんなよ」 何を言っても無意味なことは分かっているが、それでも顔に出るほど体調の悪い親友を心配せずにはいられない。 「……ありがとう」 親友の優しい言葉に、風来はへへっと笑い返した。 「風来、お前今日の講義は?」 「2限目からだけど、ちょっと事務局に提出するものがあって」 「そっか。俺は1限目体育だから先行くけど、お前はしっかり休んでから講義受けろよ。あと、もし何かあったら連絡しろよ」 あまり構うと余計に気を使うだろう風来に、高橋は親友としての言葉を残しその場を去った。 ***** 高橋が去った後、風来はしばらくぼんやりとベンチに座っていた。 座ったベンチはちょうど木陰で、時折風も吹き、日向に比べ幾分か涼しい。 (おもむろ)に着ている服の袖を少しズラす風来。 そこにはくっきりと残る縄の跡。 手首だけではない。 朝起きたら、身体中に噛み痕や鬱血痕が散らばっていた。 まさにあの夢の跡だ。 風来は深く目を閉じため息をついた。 もう夢か現実か分からない。 「風来」 風に運ばれるように、聞き馴染みのある声が風来の耳に流れてきた。 ゆっくり目を開けると、目の前には風来が避け続けていた人物。 「風来、隣りい?」 彼の言葉に、風来は無意識に頷いていた。 彼は風来の横にぴたりと座った。 「風来、俺のこと避けてるよね?」 前触れのない彼の言葉に、風来はどきりとした。 確かに、あからさまに彼を避けていた自覚はある。 「俺のこと、嫌いになった?」 「ちがっ、そんなことっ!」 慌てて彼の方に顔を向けた風来。 彼は柔らかい笑みを浮かべていた。 「やっと俺の方見たね、風来」 「あっ」 彼の言葉はその通りだった。 風来は、いつの間にか彼の顔をまともに見ることさえ出来ないでいた。 「風来、俺、風来に何かしたかな?嫌なこと」 「違う!違うんだ!」 悲しそうな表情をする彼に、またも慌てて否定する風来。 「じゃあ、何で避けるの?」 「そ、それは……」 風来は口籠る。 言えない。 神の使いのような無垢で麗しい彼が、連日のように見る夢に必ず現れ、自分を淫らに誑かしているなんて。 言える訳がない! 「……俺の問題なんだ、ごめん」 やはり誤魔化すように笑った風来。 「あーっと、俺、事務局に出さないといけない書類があるんだ。だから、もう行くわ」 何の回答もしていないが、話はこれまでというような態度で立ち上がる。 心の中で何度も"ごめん"と言いながら。 しかし、風来は次の一歩を踏み出せなかった。 何故なら、赤い跡の残る右手首を、 「Nicht loslassen」 彼に握られてしまったから。

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