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第2話
大学を卒業するには、卒業論文とやらを書き上げなければならいのがこの国の常である。しがない大学生である慶太も大多数の学生と同じように研究と論文の執筆に追われていた。
夏休みだというのに毎日研究室に缶詰状態。しかもその“研究”はほとんどが教授の手伝い。要するに無給のアルバイトみたいなものだ。研究室に泊まり込む日も少なくなく、この日も数日ぶりにやっと我が家へと帰れるところだった。
今日こそは自分のベッドで寝られる、と疲れ切った体を引き摺るように電車に乗り、刺すような日差しの下を歩く。背負ったリュックと背中の間がじっとりと汗ばんでいて気持ち悪い。早く冷たいシャワーを浴びて着替えたい。
ふと、そういえばムクはどうしているのかと気になった。この暑さから逃れようと、慶太の家に来て空振りになっていたとしたら可哀想だ。
まあ、多分代わりの家なんてたくさんあるんだろうけど。
「てか、暑すぎ。」
果てしなく青い空を睨むように見上げて、歩くスピードを上げた。ここを抜ければアパートまでもう少しという商店街の端で、何やら騒いでいる塊が目に入る。大きな大人数人で誰かを囲んでいるらしい。
なんだあれ。喧嘩?リンチ?
慶太は横目にそれを視界に入れながら、周りの人に倣い近付きすぎないよう足早で通り過ぎようとした。
しかし、丁度真横まで来たところで人の輪から飛び出るように顔を出したのは、慶太のよく知る人物で、思わず足を止める。
「離して!離せってば!」
誰かに腕を掴まれてじたばたと暴れているのはムクだった。
「ムク?」
「けーた!!!」
嬉しそうに慶太の名前を呼んだムクの声に、複数の視線が一斉にぱっとこちらを向いた。ムクの腕を掴んでいた大人は、ムクを守るように慶太の前に立つ。よく見ると、皆綺麗な身なりをして、耳にインカムのようなものを付けている。暴漢かと思ったが、どちらかというとSPと言った方が近いかもしれない。
「助けて!悪い人に殺される!」
大きな男たちの壁の向こうで、そう叫んでいるムク。ムクはポカポカと男たちの背中を殴っているが、殴られた方は困ったように眉を下げるだけで無抵抗だ。
「…悪い人?」
見れば見るほどムクを守っているようにしか見えないその光景に、慶太は首を傾げる。
一向にその場から動こうとしない慶太に焦れたのかムクが男たちの間をすり抜けるようにこちらへと駆けてきた。
「椋之助様!」
慌てたようにムクに腕を伸ばす男たち。しかしムクはそれこそ猫のような身のこなしでそれを躱しながら慶太の腕を掴む。
「早く!逃げよ!けーた!」
「…はいはい、」
ぐいぐいと引っ張る白くて細い腕を見下ろしながら、慶太はため息混じりに返事をした。
ムクに手を引かれるままに走りながら、ベッドで落ち着いて寝られるのはいつになるんだろうと呑気にも考えていた。
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