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07b 不器用な上官
「部隊の人はみんな、いかにもエリートっぽかったので……。なんで俺なんかが、空尉の直属の部下になれたのかな、って……」
「そんなことにこだわっているのか」
シグルズは少し呆れたように息を吐く。
「お前が乗ることになる機体はかなり特殊な特徴を持つ。それを考慮して呼び寄せた。軍用機の適性がないとお前が思い込んでいるのは正しい認識ではない。それはお前が十二歳の頃の話だ。お前は四輪車の運転手として、機体を自分の身体のように動かす能力を持って生まれてきた。だが実際には航空の道に進み、就職してから結果を残した。この経歴はユーグ帝国の中でも稀だ。膨大なデータベースから調査したが、該当者は数人しかいなかった」
「そ、そうなんですか。俺みたいなの、他にもいるにはいるんですね」
確かに、準市民は計画的に「生産」されるのだから、途中で専門を変わるというのはあまり多いケースではない。その権利はないので、本人の希望が通ることも少ない。イェークの場合は、ある日突然言い渡されたのだ。単に人数の調整だと聞かされた。仲の良かった友達との別れは残念だったし、転科した後で訓練についていくのには苦労した。その時は転科は貧乏くじだと感じたものだが、慣れてくるとそれなりに何とかなった。
「あれ、でも他にもいたってことは、その中からどうして俺を選んだんですか? あ、引退間近のおじいさんだったとか……」
シグルズは何かを思い出しているようだった。視線を上げ、部屋を見回しているようで、きっと別のものを見ている。
「それは、お前の……」
言葉を遮るかのように、机のタブレット端末が光って振動した。反射的に画面を見ると、ぼんやりとカイの名前が見えた。シグルズがため息を吐いて拾い上げる。
「……それがあったか」
操作をして振動を止め、シグルズはその端末を手に部屋を出て行く。
「十二時になったら俺が戻らなくても就寝しろ」
その背中を、半ば肩透かしを食らった気分で見送る。入り口が閉まる音がして、イェークは一人、ちらりと空いたベッドを見やった。
(あれ……)
てっきり、あの輸送機での出来事と同じことが起こるのではないかと、頭の片隅で身構えていたのだ。無いなら無いで勉強に集中できるし、ゆっくり寝られるのだが、浴室でどぎまぎしたり、接近してどぎまぎしたりしていたのが徒労だと思うと、拍子抜けした。
いやいや、それならそれで好都合だ、と思う反面、今晩は戻らないかも知れないというようなことを言っていた気がするのも引っかかってくる。そして彼の行き先は、間違いなくカイの元だ。
カイもまた操舵手〈ラダー〉であり、あの様子からして、この基地で暮らして長いのだろう。同時に、シグルズのこともよく知っているようだった。彼はきっと「経験豊富」であり、容姿も優れている。とすれば、彼らが夜に会う目的とは……。
(や、やめよう!)
浮かんだビジョンを慌てて打ち消し、次の飴玉に手を伸ばす。すると最後の一つだったので、それを口に入れて、外袋は四角いゴミ箱に捨てる。
とにかく勉強に戻ろうと思って、本を取り上げ目に近づけて文章を見るのだが、むしろ教えてもらう前よりも内容が頭に入らない。これは駄目だと思い、教科書を片付けて消灯し、ベッドに入る。しかしすんなり眠るのも難しく、ひたすら目をつむって時間が過ぎるのを待つだけとなってしまった。
シグルズが部屋を訪れた時には、案の定カイは頬を膨らませてベッドに腰掛けていた。部屋の間取りはシグルズの部屋と同じなので、勝手知ったる調子で上がり込む。ただ、部屋の内装や家具はカイの趣味でややアレンジが加わっており、ぬいぐるみが飾られている。
「今夜来てって言ったのに、全然来ないし!」
「あいつのお守りで手間取った」
「違うでしょ。忘れてたんでしょ」
「……」
「一応は否定しなよ!」
そんなことだから何とかかんとかと、カイは小言を垂れながら、窓際の机に移動する。シグルズも向かいの椅子に腰掛けて、置いてあったファイルを開いた。
「第一印象を聞こうか」
そう言ってカイの表情を改めて見ると、彼はもう真剣な目をしていた。
「彼は正真正銘の天才だよ! 話してて、鳥肌立ってきちゃったもん」
「……そうか」
ファイルの中の書類は、イェークのこれまでの経歴書と今朝のシミュレーターでの成績表だった。
「でも何だか彼、自己評価が低すぎるよね。よほど環境が悪かったのかな?」
「いい環境ではなかっただろうな。電球の切れた宿舎で生活していたようだ」
「何それ……」
「寂れた地方空港など、そんなものだろう」
「ちょっと僕には想像付かないけど……」
カイは首を傾げてから、シグルズの捲る経歴書を正面から覗き込んで指さした。
「これね、びっくりするよね。十段階の中で実技は最高の十か九、座学はオール八。意味分かんないよ。平均はせいぜい五くらいでしょ? しかも、転科した後は慣らし期間を挟むはずなのに、その時の成績表がないってことは……これ、いきなり航空科に放り込まれてるよね。それでこの成績。なんでこんな逸材が軍に引っ張られてなかったんだろう」
「制度に置いてけぼりにされたんだろう。徴兵者の選定時に、転科で入った者がリストから漏れていたとしか考えられん」
「まあ、転科してそんなにいい成績取る人って、あんまりというか、ほぼいないって考えるのが妥当だろうしね……」
書類を捲っていると、カイが「え?」と声を上げる。
「え、え。そこまで見てなかった。総飛行時間二千五百って、イェーク何歳? どういうこと?」
「とんだ激務だな」
「激務なんてもんじゃ……。でもそっか、その経験もあって、か」
シグルズはファイルの最後の、フライトシミュレーターの成績表に辿り着いた。
「なんでシギュンシステムを教えてあげなかったのかは知らないけど、とにかくその結果がやばいよ。だって、シギュンなしで着陸してるんだもん。ドン引きだよ……」
カイは背もたれに背中を預けた。疲れたように身体の力を抜く。
「しかも一発で。主翼が折れようが火花が出ようが、ちゃんと止まってるんだもん。ちなみに言うけど、僕だったら無理だからね。頼まれたってやだよ。あんなデカブツ、手動操縦で降りられるわけないでしょ……」
最後は愚痴のようになりながら、カイは口を尖らせた。
「あとは学科か」
「学科も問題ないでしょ。それよりもむしろシグルズだよ」
カイは起き上がって、人差し指を突きつけてきた。
「ちゃんと優しくしないとダメじゃない! こう、信頼関係? スキンシップ? みたいなさあ」
「懐かれても困るだけだ」
「懐いてほしいくせに何言ってんの?」
口が達者なカイを相手にしては分が悪そうだったので、もう聞き流すしかない。
「とにかく今まで失敗してる分を取り返して! あといつまで敬語使わせてるの? もうそこからダメ。勘違いする輩が出ても知らないからね!」
その後も矢継ぎ早にダメ出しと要求が続いたが、シグルズはそのうちのいくつを覚えていられるだろうかと思いながら、ひたすらその矢に刺され続けた。
イェークはその翌日の晩、自分に起こっていることを理解出来ずに身を固める以外になす術をなくしていた。
ベッドの上に抱え上げられ、後ろから抱き締められたまま教科書を開いているのだ。突然のことすぎて文章を読むどころではないので、本当に開いているだけだ。しかも、夕方は授業を終えて部屋に戻るや否や、自分に対してのみ敬語は止めろと命じられた。上官に対してタメ口とは、意味不明すぎて、疑問符まみれになってしまう。
(そういえば、カイはシグルズに対して敬語じゃなかった……じゃあ、そういうものなのか?)
抱き締めているシグルズの手が、イェークの脇腹を撫でる。性的な意図を感じて、微かに吐息が震える。
「っ……あの」
「何だ」
耳朶の側で囁かれ、その声にじんと痺れる。
「わ、……あの、今日はカイのところに行かないんですか……あっ、じゃなくて、行かないのか?」
「そんなにあいつが気に入ったのか」
シグルズはそのまま首筋に顔を埋め、僅かに吸われる。
「っ……気に入ったっていうか、それはあんたが、っていうか……」
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