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08a 支配する者とされる者

「何のことだ」  なおも腹のあたりをがっちりホールドされて、身じろぎするのも遠慮がちになってしまう。けれど、あの時のように無理に押し倒して動きを封じるということはないらしい。カイのところに行かないのであれば、いよいよ今日は自分の番なのだろうか。  しかし、こうしてくっついていると暖かい。空調は自動制御されているし、もうわざわざ暖房を準備するような時季でもないのだろうが、まだ身体がついていかないイェークにとってはありがたいくらいだった。 「分からないところでもあるのか」  この体勢では、またもやページが進んでいないことが丸分かりだ。体勢はともかく、シグルズの言う通り本題は勉強なのだ。 「えっと、このページじゃなくて、こっち……」  授業の後で疑問が出ていたのを思い出し、指し示す。 「これか。貸せ」  ペンを渡すと、また図を描いて教えてくれる。計算式も飛ばさずに、考える過程を示すように書いてくれる。 「あんたにとっては当たり前かも知れないけど、すごく分かりやすい。助かるよ」 「確かに、俺にとっては当たり前だな。数年前に同じ試験を受けている」 「そっか、貴族の出身だから……だよな?」 「そうだな」  あとは計算をして答えを書き込むだけになった状態で、ペンを返却される。 「一人でも解けるように、後で見返しておけ」 「うん」  その設問にマルを付けて、元のページに戻る。  背中が暖かいせいか、気がかりだった問題が解けたせいか、少し気が緩んできてしまったようだ。小さなあくびが出そうになってしまう。上官が真後ろにいるのにまずいと思って手で口を覆うが、遅かったようだ。 「疲れたのか」  頭の上に手を置かれて、そのまま撫でられる。  それではまるで子ども扱いだと思ったのだが、実際に彼とは六、七歳離れているので、まさにその通りだ。 「そんなこと……」  虚勢を張って否定しようとするが、あくびの第二弾が出かけてしまう。  シグルズがそっと教科書を取り上げ、ヘッドボードに置く。 「あ……」  取り返そうと腕を伸ばすが、全然届かない。それどころかシグルズは、イェークを巻き込んで横になり、照明を二段階暗くする。起き上がろうとするのだが、大きな手に寝かし付けられてしまう。再び後ろから腹をホールドされて、髪を避けてくすぐるようにうなじへ口付けられた。 (あ……ひょっとして)  寝間着の下から手が差し入れられて、今度は直に脇腹を撫でられる。 「ん……」  自分の鼻腔から漏れた艶っぽい音に、いよいよかと覚悟を決める。首筋やうなじに口付けられた跡がじんじんと熱い。こちらの心音さえ聞こえてしまいそうなほど密着している。横になっても、彼の香りと体温と、息づかいに包まれている感じが高まっていく。 (あれ……でも前と違う……なんか)  脇腹を這っていた指が、下衣のウエスト部分に潜り込む。そのまま下着の中へ、触れられる。 (前ほど怖くない……かも……)  けれど、部屋が暗くなるととたんに瞼が重くなってしまった。今は寝入っている場合じゃないと、一度は目をこじ開けたのだが、薄暗い部屋と、瞼を閉じた暗闇の区別が付かなくなっていく。寝返りを打ち、背中にあった熱源を正面にして潜り込み、暖を取る。肩まですっぽりと包まれて安心すると、イェークはすぅすぅと寝息を立て始めてしまった。  後頭部を支える手付きの優しさだけが、夢うつつの中でも確かだった。  意識が浮上した時も、髪の毛を撫でる手の感触があった。唇に何かが触れ、イェークは目を開ける。皺の寄ったシーツから目線を上げると、カーテンが開けられるところだった。まだ開ききっていない目に朝日がしみる。 「え、……あ……」  昨晩の意識を手放す寸前のことを思い出し、慌てふためく。昨晩は「イェークの番」だったはずだ。それなのに、役目を果たす前に完全に眠り込んでしまった。 「俺、あのまま……!」  振り返ったシグルズが片眉を上げた。 「教科書はそこだ。忘れて行くなよ。俺は先に出る」  示された先を見ると、ヘッドボードに昨夜見ていた教科書が乗っていた。シグルズは言葉の通りすでにきっちりと軍服を着込んでおり、部屋を退出してしまった。  一人になった部屋で、イェークは頭を垂れる。 「はあああ……」  まだ微かに唇に感触が残っている。そこに触れると、期待に応えられなかった申し訳なさのような妙な感情が堆積した。  例えばカイなら、こんな失敗はしなかったのだろうか。どちらにせよシグルズは、もうイェークに対して呆れきったのではないだろうか。  マイナスの方向へ仮定する思考を、頭を振って追い払う。ヘッドボードの教科書を掴んでベッドから降り、イェークは身支度を始めた。

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