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12a 彼が見ていた夢を見た
それから再び、イェークは訓練棟と部屋を往復する生活に戻っていた。授業を受けて、その日のうちに内容を頭に叩き込む。すでに知っていることもあれば知らなかったこともまだまだ多い。また、知識として頭の中にあったとしても、切り口を変えた設問で見ると結び付かないこともあり、練習問題を解くことも必要だった。シグルズは帰りが遅くなることが頻繁になってきたが、それでもイェークの勉強には必ず付き合ってくれた。
シミュレーターを利用した実技の訓練も始まり、それにはシグルズも同席していた。スレイプニルの航行に必要な最低人数は二人だからだ。一人では行えない部分や、意思疎通ルールを徹底して訓練した。
いよいよ学科試験が三日後に迫った日、イェークは授業と授業の間の休み時間に教室でクラスメイトと世間話をしていた。机を並べていれば自然と仲良くなるもので、顔と名前と性格くらいはお互いに一致するようになっていた。
そこへ突然やって来たのは、しばらく姿を見ていなかったカイだった。
「イェーク! ここにいたの。早く早く、始まっちゃう!」
久しぶりとか、今までどうしてたとか、何が? とか、色々訊ねることがあったのだが、強引に腕を引かれて教室から引っ張り出されてしまう。
「すみませーん、イェーク借りて行きます!」
「お、おい?」
呆気に取られるクラスメイトたちの返事も聞かずに、カイは訓練棟の三階へ上がって行く。いつものシミュレーターの小部屋ではなく、窓際までやって来ると、窓ガラスに貼り付いて外を見る。
「ほらほら、あれ!」
白地に赤と青のラインが入った塗装の戦闘機が四機、メインの一番広い滑走路にひし形を作って並んでいる。それらが、まさに発進するところだった。重なって見えるほど密集しながら、ひし形を崩さずにぐんぐんスピードを上げ、そのまま離陸していく。
「あれは……アクロバット飛行?」
「そ。今日は基地の上空を空けて訓練するんだって。ひょっとして、聞いてない?」
「聞いてない……」
意外そうにカイが瞬く。
「そう……」
四機は後ろから火を噴きながら急上昇していく。見上げるほど高度を上げたところで火は消え、代わりに白い煙を吐き始めた。軌跡を描きながら旋回する。まるで一羽の鳥であるかのように編隊を乱さずに、機体を傾けて緩やかなカーブを描いている。
そのうち中央後ろの一機が他と分かれ、別の線を作り始める。何が始まるのかと思っていると、三機と一機が向かい合わせに急接近していく。
「ぶつかる!」
「大丈夫だよ」
すんでのところで互いに機体を横転させ、尾翼がぶつからないように回避する。
「今すれ違ったのが、シグルズだよ」
「ええっ?」
思わずカイの方を向いてしまう。
「本当に何も聞いてないんだね……。じゃあ良かった、見ていてあげてよ」
窓の外を見るカイは、懇願するみたいに呟いた。
「きっとシグルズも、イェークに見ていてほしいと思うからさ」
そんなカイの方がむしろ目を離せない気がしたのだが、イェークはひとまず言われるままに窓の外へ視線を戻した。
旋回してメインの滑走路の低空へ戻ってきたシグルズの機体が、横転を連続させながら駆け抜けていった。白煙が端正な螺旋を描き、拡散していく。
「すごい、本物のバレルロールだ!」
続いて他の三機と合流して、後から発進した一機も加わり、編隊は五機になった。渡り鳥のようにV字を作って旋回している。編隊は再び一羽の鳥になって、こちらへ背中を見せるように機体を倒して並んだ。五つの白線が、定規で引いたみたいに横に真っ直ぐ伸びていく。
続けて二機と三機に分かれ、それぞれ別の方向へ勝手に飛び始めた……と思いきや、そこにはハートマークが浮かんでいた。仕上げとばかりに、一機がその中心をくぐり抜ける。
それからも五機が密集しての背面飛行や宙返り、タイミングを揃えての方向転換が当たり前のように連続した。
そんな中で、イェークは思わず声を上げてしまった。
「な、……なんだあれ……」
ある一機が低空飛行を始めたかと思うと、アフターバーナーを噴きながら、機首を垂直に近いほど上向けた。推進力を機体を立たせることに使い、低速で『歩いている』。そのすぐ上を他の四機が追い抜かしていき、抜かれた瞬間に機首を戻して超高速で追尾し、急上昇して追い付く。恐らく、今のはシグルズが操縦している機体だ、と思った。とっくにどれがそうなのか分からなくなってしまっていたが、何となくそんな気がした。
「…………」
圧倒されてしまった。胸さえ締め付けられる。どれも簡単そうにやってのけているが、そこには恐ろしいほどの技術レベルが必要とされているはずだ。それを複数の人間でタイミングを合わせているということは、個人の努力だけで何とかなる類のものではない。意識が遠くなるほどの時間をかけて訓練してきたということだ。精神的にも肉体的にも、かなりの負担だっただろう。このためだけに捧げる覚悟がないと出来ないはずだ。本当に人生をこれにかけるという、情熱と覚悟が。
二機が並んで飛んでいるかと思えば、そのうち一機が反転し、向かい合わせになったまま低空を駆け抜ける。
ため息ばかりが漏れた。うっかり感極まりそうになって、カイには気付かれないようにそっと目頭を拭う。
イェークはその後も、訓練が終わって全機が着陸しても、しばらく窓の側を離れられずにいた。
その日授業を終えて部屋に戻ってからも、イェークの頭の中は昼間に見たアクロバット飛行でいっぱいになっていた。ベッドの上で膝を抱えたままぼうっとしていると、思いの外時間が過ぎていたようだった。日付が変わる少し前になって、玄関のキーが開く音がした。
「! おかえり!」
急いで玄関まで迎えに出ると、シグルズは大きな花束をいくつも抱えていた。
「わあ……すげぇ。どうしたんだこれ?」
大柄のシグルズが抱えていても大きい黄色やオレンジは、イェークが持つとなおさらだった。
「何だ、遅くなると言っておいただろう。まだ起きていたのか」
花の香り以外にも、いつもと違う香りがしていた。多分、アルコールだ。
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