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13a 彼が追う夢を追う

「……俺に、全部預けちゃうんだな」 「そうだな。お前に出会わなければ、俺は軍を去っていただろう」 「そ、そこまで……?」  シグルズはイェークを巻き込んでベッドに寝転がり、大事に抱えて頭を撫でた。 「実家に帰って、領地の端でも分け与えられて、地上で過ごすことを選んだだろう。だが、俺はお前を見つけた」 「俺のどこが、そんなに良かったの……」  途中で転科したという経歴だけで、連れて来られたとは思えなかった。今だって、本当にこの人のことを支えることが出来るのか、自分に疑問を抱いている。操縦技術や専門知識を詰め込むことは出来ても、もっと根本的なところで引っかかっている気がした。  胸に抱かれているので表情は見えなかったが、シグルズは何かを思い出しているみたいに声のトーンを落として語った。 「お前に決める前に、何人かに絞った候補を一人ずつ見に行った。その中でお前が一番、『美しく』飛んでいた」 「美しく……?」  サディオ空港は地形の関係で山から吹き降ろす風のきつい場所だ。一定の方向に吹くものではなく、海からの風とぶつかって目まぐるしく入り乱れる。タイミングが悪ければ不慣れな操縦士は着陸を諦めて引き返すこともある。だからこそなのだが、確かに機体をなるべく揺らさずに下ろすことについては、気を遣ってきたかも知れない。外からどう見えるかということは、考えたこともなかったのだが。 「一目見て決めた。お前しかいないと、確信した」  ぎゅうっと抱き寄せられる。シグルズの体温が移ってくるようだった。花とアルコールと、彼自身の香りがする。 「お前の操縦を見るまでは、俺が命を預けるのに相応しい操舵手〈ラダー〉などいるものかと、そんな風に思っていた。だが、お前はその考えを変えた。お前になら全て預けていいと、そう思った」 「か、買いかぶりすぎじゃねぇの……」 「俺の目に狂いなど無い。お前が俺の操縦を見て『分かる』と言ったのと同じことだ。俺が求めても得られなかったものを、お前は持っている」  そんな風に言われると、くすぐったいような気がした。イェークが心を動かされたのと同じことがシグルズに起こったのだとしたら、それは言いようがないくらいの名誉だった。 「実際、お前の飛行機に二回ほど乗った」 「ええっ、気が付かなかった」  シグルズほどの長身で身なりのいい客ならば印象に残ってもおかしくないのだが、さすがに一日に何度も乗客の積み下ろしを繰り返す中では気付けなかったようだ。 「サディオは遠かっただろ。あんた、ただでさえ忙しいのに……」 「乗ってみてやはり、スレイプニルに相応しいのも、お前以外いないと思った」  きっとシグルズの頭の中には、あの紺と灰色の洋上迷彩が、広い海の上を滑空している光景が広がっている。 「スレイプニルは『抑止力』だ。他の三機とはコンセプトが違う。俺が転属を了承する最後の条件が、スレイプニルの砲塔を他の兄弟機よりも減らすことだった」 「減らして、どうするんだ?」 「戦うためだけの飛行機にしたくなかった……。飛行機を撃ち落とすためだけにある飛行機には、乗りたくなかった」 「あ……」  この人はきっと、軍人らしからぬほどに甘いことを言っている。この人の伯父や、他の親族が聞いたら呆れられるようなことを言っている。けれど、彼にとっては絶対に譲れないことだったのだろう。 「砲塔が減ったとは言え、威力は十分だ。レーダーも最新鋭、速度も音速の二倍は出る。そんな強大な力を持つ巡航戦艦がいち早く空域に現れたら、敵機はどうすると思う」 「……逃げる、かな」 「そうだ。戦わなくて済む。……向こうが似たような戦力を連れて来ない限りはな」  シグルズが言っているのは、軍事的なようでいて、その実、感覚的で抽象的なことだ。だがイェークにはこれも分かった。シグルズの操縦を見ていたからこそ理解出来る。  彼は空が好きだからこそ、操縦桿を手放した。  フェンリルシリーズが製造されることも、飛行機が軍事力として利用されることも、彼には止めることなど出来ない。どうせ前線で飛ばなくてはならないのなら、美しく、堂々と旋回するその姿を武器にすることも出来るのではないかと、それを民間出身のイェークに懸けたのだ。 「……」  イェークからもシグルズの背中に腕を回して、強く抱き付いた。男のくせに何度も涙を堪えているのは格好が付かない、見せられない。彼のワイシャツで勝手に涙を拭ってから、イェークは顔を上げた。ベッドの上をずり上がって、シグルズを見下ろす。頬に手を添え、ゆっくりと顔を近付ける。口の端あたりに、そっと唇を押し当てた。シグルズは意表を突かれたみたいに瞬いた。 「……何だ、急に」 「な、何だとは何だよ。あんたは、いつも俺にするじゃん……」 「……そうだったな」  大きな手の平で、耳から頬、首筋までを撫でられる。そして引き寄せられて、今度は唇同士を合わせる口付けをする。一度離れてから、次はもっと濃厚に、舌を絡め合う。  シグルズが身体を起こしネクタイを引き抜きながら、代わりに寝かされたイェークを見下ろす。イェークは視線を彷徨わせながら、自分の服の襟に指を掛けた。三つボタンを外したところで、シグルズが覆い被さり、鎖骨に強く吸い付かれる。その鋭い感覚に震えながら、イェークはそっと目を閉じた。  ふと意識が浮上すると、イェークはシグルズの腕の中にいた。緑の遮光カーテンの隙間から青白い光が差し込んでおり、明け方が近いことが分かる。二人とも何も身に付けていなかったが、掛け布団の中で寄り添っていたので暖かい。身じろぐと視線を感じて、青い瞳と鉢合わせる。 「起こしたか」  シグルズは先に目を覚ましていたらしい。寝起きの声というよりは、イェークを気遣っての小声だった。 「ん……」  ベッドの上に座り込む形で身体を起こし、伸びをする。 「もう起きるのか」 「勉強。昨日あのまま寝ちゃっただろ。ちょっとでもやらないとな……」  その前に身を清めたい。ベッドの下に落ちたはずの衣服を探して腕を伸ばす。 「試験、がんばるからさ。そしたらあんたは、操縦席じゃなくても、また飛行機に乗れるんだろ?」 「……変に気負う必要はない」  何か布を掴んだので引き上げると、イェークの紺色の制服だった。とりあえず羽織っておく。 「気負うとか、そんなんじゃないけど。……がんばるよ。俺が一番になれば、誰も俺が民間出身だからって、あんたにも俺にも文句言わなくなるってことなんだろ? だったら、俺のためでもあるし」  シグルズもゆっくりと身体を起こして、頬に軽い口付けをくれる。 「教えてくれる?」 「無論だ。ただし、これからは厳しくいくぞ」 「それじゃあ、俺も遠慮なく聞くから」  思わせぶりな言い回しが何だかだんだんおかしくなってしまい、どちらからともなく笑い出す。クスクス笑いながら小突き合った。  太陽が昇るまで、あと少しだった。

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