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14a 喜びの服従
ホワイトボードには、記述試験の成績順位と点数が貼り出されていた。やはりクラスメイトの点数は気になるようで、何人かはその前に集まって盛り上がっている。
だが、イェークはとてもそこに混ざる気分にはなれなかった。むしろ、だんだん目の前が暗く陰っていくような気さえしてくる。大丈夫かと声を掛けてくれる周りに、うんとかああとか返事をしたかすら怪しいが、何とか机に手を突いて立ち上がり、教室を後にする。
まだ夕方というには早いが、少し長くなった影がイェークの前を歩いている。その影が、大柄の将校の靴に被さった。
はっとして見上げると、見知った上官、シグルズがサングラスを掛けて立っていた。自分を迎えに来たのだと分かる。
「ご……ごめん!」
思わず俯く。彼は決して暇だったから迎えに来たのではない、今日が大事な選抜試験の前半戦が行われ、先ほどその中間発表があったから、結果を聞きに来たのだ。
「ごめん……筆記試験、二位だった……ずっと付きっきりで見てもらってたのに、……本当にごめん!」
とても顔を上げられない。
「でもっ実技で取り返すから……絶対、取り返すからっ……」
「もうその必要はない」
普段通りの口調が、今は冷酷にも感じられた。これまで夜遅くまで、どんなに疲れていても勉強に付き合ってくれた毎日を思うと、シグルズの落胆は当然だった。失望しただろうか。自分自身でだってとても許せそうにない。まだ事実を受け止めきれないでいる。
「でも! 主席ってのは総合成績でだろ、実技で十分取り返せる……だからまだ」
慌てて話しているうちに、声も握った拳も震えてきてしまう。そこへ、目の前に一枚のカードが差し出される。
「……え」
自分の顔写真が見えたので受け取ると、身分証のようだった。今、イェークの左胸に付いているものと似ているが、少しずつ書いてあることが違う。これまで空欄だった階級には準一等空尉、所属はシグルズのフルネーム、備考には巡航戦艦スレイプニル操舵手と書いてある。
「お前が主席で確定だ。……よくやったな」
呆けた顔で見上げると、サングラスの下は穏やかに笑っていた。大きな手で頭を撫でられる。
「えっ、……え?」
「先日行われた実技試験の点数と合わせると、お前がトップだ」
「い、いつ! 実技試験はまだ……」
「飛んだだろう、上官を後ろに乗せて。お前は指示通りに操縦して、敵機の後ろを見事に取って見せた。もう忘れたか?」
忘れるはずもない、それはイェークにとっては楽しい思い出だった。久々の小型機に緊張しながらも、久しぶりに空を飛んで、操縦する感覚を味わうことが出来た。
「あ……あれはご褒美だって!」
「新人クラス恒例の抜き打ちテストだからな、事前にテストだとは言わん」
ぽかんと口を開けたままになっているイェークに、シグルズは軽く噴き出した。折り畳んであった紙を広げる。
「評価の詳細を聞きたいか? まず、発進前の計器チェックだ。これは緊急発進でない限り操縦士と機長が自ら行わなくてはならない。俺は引っ掛けで、もう済んでると言ったんだが、お前は自分の目で確かめた。だから減点なしだ」
「だって、それはそういうもんだから……」
サディオ空港でOJTを受けていた頃、それはそれは徹底して叩き込まれたことだ。どのスタッフも、機体のコンディションを万全の状態にするため決して手を抜くことはない。しかし、それでも整備不良による事故は起こるのだ。問題ないことを確認するのではなく、問題があるはずだと思って、フライトごとに疑いを晴らしてから離陸する。それを一生徹底しろ、一生だ。と、今は引退して寮監をしている、当時の上司に怒鳴られながら覚えたことだ。
「次に、同乗者の監督だ。たとえ上官であっても、危険行為に対しては警告を行わなくてはならない。俺が座席を蹴った時、お前は理由を述べて止めさせた」
「いや、あれは本当に止めろよ……」
「警告をした上で、それでも命令があれば従わなくてはならないが……まあ、それは次の段階の話だな。あとは操縦技術が順当に評価された。結果が不服なら別途異議を申し立てろ」
シグルズの持っている紙を覗き込むと、様々な項目ごとに評価が書き込まれている。筆跡から、何人かからの評価を受けたことも伺えた。
あの時、イェークのことをしきりに見つめていた整備士がいたはずだが、彼もまた審査員だったのだと、今さらながらに分かった。
「正確に言えば明後日の実技試験の結果を加点して最終的な集計が出るんだが、次でお前がヘマをして〇点を取っても、その点数差は覆せないということだ。……まだ理解出来ないか?」
「わ、……分かるわけないだろ!」
思わず目の前の上官に抱きつく。
「お、おい」
シグルズはイェークが抱きついたくらいではよろめいたりしないのだが、少し面食らったようだった。
「何だよ! 何だよもう! いっつもいっつも、突然すぎるんだよ!」
失望からの振れ幅が大きすぎて、訳が分からなくなってしまう。安心したのに心臓が飛び出しそうだった。
「馬鹿! 本当に……、ばっかやろ……ううう……」
縋り付いたまま、感極まってしまう。
「本当によくやってくれた。お前の昇進をもって、俺も晴れて一等空尉に昇進だ。……苦労をかけたな」
イェークを潰さないように加減をして抱き締め返してくれる。腕の中は暖かくて、それが余計に涙を誘った。袖で拭ったくらいでは収まらなくて、すぐに顔がぐちゃぐちゃになってしまった。
「俺、本当に……?」
「ああ。書いてあるだろう」
もう一度、手の中のカードを見つめる。しかし、視界は涙滴で揺らいでしまっていた。何度も瞬いて、指で目元を拭って確認する。
「はは、よく見えねぇ……」
「ちゃんと見ろ。無理を言って一足先に作らせたんだ」
「あんた、無茶苦茶すぎ。俺が副官になったからには、そういうの控えめにしてもらうからな」
シグルズも指でイェークの頬を拭いながら苦笑した。
「そうだな。副官の言うことなら、聞くだけ聞いてやるか」
「聞くだけかよ?」
甘えて再び胸板に額を押し付けると、耳元で囁かれる。
お前次第だ、と。
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