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20b 傷
カイに手を引かれて離れの建物を出ると、すでに昨日のリムジンがつけてあった。運転席には昨日と同じ男性が座っており、シグルズとシンフィーは車の外で何かを真剣に話し合っていた。
「おーい、イェークの支度終わったよー」
カイが手を振って声を掛けると、シンフィーだけがぱっと顔をこちらへ向け、片手を上げて応えた。
「おはようさん。昨日は大変だったな、少しは眠れたか?」
「ぐっすりとまでは言えないけど、何とか寝付けたよ」
「そっか」
シグルズは気遣わしげにイェークを見下ろしたが、結局何も言わなかった。カイはそれを横目で見て口を尖らせながら、シンフィーに訊ねる。
「犯人、まだ見つかんないの」
「ああ……それについて話してたんだがな……。あいにく、それらしい人物の目撃情報すらないんだ」
「そう……」
シンフィーは少し苛立たしげに腕組みをした。
「シグルズは身内だからともかく、イェークは俺が呼び付けた、謂わば来賓だぞ。それなのにこんなことになっちまって、警護の奴等はどう責任取るつもりだ? この家の敷地内だぞ」
「そうだよ! 招待状がないと、敷地内にも建物にも入れないはずでしょ。どうやって忍び込んだんだろう。それとも……」
「あの」
昨晩思い出してからずっと気掛かりなことを、訊ねてみる。
「俺、昨日あのトイレで、サングラス無くしたみたいで……知らないか?」
「そうだ、シグルズから借りてたよね。襲われた時に無くしたの? シンフィー、見た?」
「いや。おかしいな、あの辺りは俺も調べたはずなんだが」
「じゃあ、犯人が持ってったってこと? なんでわざわざ」
あの時の、サングラスが転がる音を思い返す。
「確か、刃物が当たって、吹っ飛んで……」
カイが手を打つ。
「それだ! 刃物の跡から、足がつくと思ったんじゃない?」
「その可能性はあるな。持ってる奴がいたらそいつがかなり怪しい、探させよう。まあ、見つかるかどうかは別の問題だが……」
シンフィーは通りかかった使用人を呼び止め、何かを言い付けた。
それを険しい表情をしたまま見つめていたシグルズの側に寄り、イェークは頭を下げた。
「ごめん! あれ、返せなくなっちゃった、みたいで……。本当にごめん!」
「気にする必要はない」
シグルズの声は優しかった。けれど、どこかうわべだけのような気がした。イェークの方を見てくれないのだ。
「あと、スーツもだめになって……。袖のとこ、切れちゃって……血が」
「いいと言っている」
「……うん……」
こちらを見てくれないどころか、話すらしてくれない。とうとう失望された。下げた頭を上げられなくなる。
「基地に戻るぞ。車に乗れ」
これ以上不興を買いたいわけじゃない。イェークは口をつぐんで、車に乗り込むシグルズの後に続いた。
基地に戻っても、やはり腕を治すのに身体に負担がかかっているのか、どことなく怠さが続いていた。その日の予定はカイの勧めでキャンセルにしてもらい、思い切ってしっかりと横になって休んだ。シグルズはイェークが開けた穴のせいなのかずっと部屋を開けており、夜にも戻って来なかったようだった。
次の日にはすっかり頭も冴え渡り、腕も日常生活には苦労しない程度に動かせるようになってきた。傷が塞がり始めているのだろう。さて、腹ごしらえでもして訓練に復帰しよう。そう思っていつもの紺の軍服に着替えていると、何の前触れもなくシグルズが部屋へ戻って来た。昨日はどうしてたんだとか、おはようだとか声を掛けたのだが、シグルズは真っ直ぐに部屋を突っ切り、一人分の食事をテーブルに置いてこう告げた。
「お前はしばらく謹慎処分だ。部屋からは出るな」
「……」
思ってもみなかった事態に、一瞬反論を忘れる。
目も合わさずに出て行こうとするシグルズの背中を慌てて追いかける。
「何で! しばらくって……どういうことだよ、説明しろよ!」
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